150 コズモエンデバレー

 谷底から突き出した岩山は、まるで巨人がつるぎでもこしらえようとしたかのように、一様に高く鋭く天をいていた。あまりにも大きいものは、雲に隠れて全容が掴めない。

 谷は薄く霧をまとい、岩山は苔や低木に覆われていた。

 ヒルトップ宅のちょうど真後ろに位置する岩山で、発光石が点滅している。あの山を回れば、もうゴールまで駆けるだけだ。

 フィオは一位のライダーに間髪遅れず、山を旋回する。


『一位はツーペナもらってる。きみの敵じゃない。後続だけに集中して!』


 鼓舞するランティスに応えたかったが、遠心力と重力に患部をえぐられ、痛みに言葉を奪われた。

 もういいかな。

 もうひとりの自分がささやく。一位はツーペナだ。ジンとキースに抜かれたって、三位か四位には入れる。

 それで十分じゃない?

 もうがんばらなくてもいいんじゃない?


『……違う。私は誰よりも輝くロードスターになる。誰が四位なんか愛するんだ。四位じゃ、ジョットくんは安心して夢を託せないでしょ!』

『フィオさん……』


 ジョットの声が心に響く。

 親に傷つけられ、必死に逃げていた子どもの姿が脳裏に瞬き、フィオは力を振り絞った。

 自分の命はなんの意味もなかったと、彼は言った。

 震える体を抱えて、気持ち悪いと吐き捨てた。

 世界に失望し、自分に嫌悪し、運命を呪った子どもの目に映った、ひと筋の灯。それがこのろくでもないフィオ・ベネットだというのなら、すべてを懸ける理由は十分だ。


『だからジョットくん、その未来さきは私がいなくても、幸せそうに笑っててよ』


 フィオの信念に応えてシャルルは空を叩く。そのひと振りは風のマナを急速に集め、首位のドラゴン周辺の気流を乱した。

 わずかに風を掴み損ねた隙をつき、漆黒のナイト・センテリュオが先頭にせり出る。

 ヒルトップ家の遺跡屋敷上空を目にも留まらぬ速さで駆け抜け、競技場コロセウムへ飛び込んでいく。

 その寸前、おどろおどろしい咆哮が空を裂かんばかりに鳴り響いた。


『許さない。許さない。俺の息子をかどわかす人間め。同胞たちを殺した虫ケラが! 根絶やしにしてやる……!』


 今まで抱いたこともない強烈な殺意と憎悪が雪崩れ込んできて、フィオはせつな視界がぐにゃりと歪む錯覚がした。とたん、吐き気が込み上げ息を詰める。

 異変を感じたシャルルはぴたりと止まった。その間に、抜かしたばかりのライダーがゴールした。

 しかし実況者も解説者も六万人の観客も、歓声を上げない。誰もが咆哮が聞こえてきた方角――コズモエンデバレーを振り返り固まっている。

 競技場コロセウムだけではない。セノーテの街も風も時も、一瞬で凍りついたような静寂の中、恐怖に染まった悲鳴がひとつ落ちた。

 フィオは目を研ぎ澄ます。

 おもちゃのように小さなライダーとドラゴンの列が、渓谷に見える。巨岩塔を回り込もうとしていた彼らを、巨大なドラゴンが襲っていた。


「六枚羽……。ロワ・ドロフォノス!」

『翼竜科ロワ種だと!? フィオさんすぐに避難を! 僕は竜騎士を――』

「行って。シャルル」

『フィオさん!? どこに行くんだ!?』


 コースを逆走しはじめたフィオの信号を見て、ランティスは焦る。戻れ、と叫ぶ声を無視し、フィオはライフルに残った染料弾を捨てた。代わりにサイドバッグから取り出した鎮静弾を込めていく。


「は? なにしてんだ、お前」

「フィオ、待て。なにする気だ!」


 三位と四位に迫っていたジンとキースから、怪訝な目を寄越された。しかしフィオは構わず、ふたりの間を抜ける。


「あいつはなんでいつもいつも、無茶ばっかすんだ! くそっ!」

「あ? ああ、そういう……。ったく、しょうがねえな」


 後ろでシュタール・イージスとマティ・ヴェヒターが身をひるがえしたことには気づかず、フィオはシャルルの首をなでる。


「いつも巻き込んでごめんね。怖い?」

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