148 井戸の攻防

「私には半ペナついているんですよ! それに追ってきているのは小回りの利く翼竜科とキースです。守りになんか入ってられない! 私には猶予なんてないんだ!」

「イライラしてんなあ、フィオ。生理か?」


 すぐ上から声がして、ハッと目を剥く。前を飛んでいたジン・ゴールドラッシュがいない。そうとわかるや否や、フィオは全体重をかけてシャルルに回避行動を取らせた。

 縦にひねった胴の脇を染料弾がかすめていく。そのままシャルルは急降下し、セノーテの街すれすれを全速力で駆けた。


「あの遊び人め……っ!」


 フィオにペナルティショットを与えるためだけに、速度を落としてきたジンに毒づく。勝負を捨ててでも、エルドラドレースの仕返しがしたいらしい。


「いや、階段井戸で挽回できる計算か」


 今まで二位に収まっていたのも計画通り、とまでは考えたくない。


「おらおら、踊ってくれよフィオ! 俺を楽しませろ!」


 無闇に撃ち込んでくるジンに対し、フィオはジグザグに動いて狙いを定めさせない。この状況で当たる確率は低いとはいえ、神経は削られる。

 怒りと緊張で、シャルルの呼吸は荒れた。


「堪えて、相棒。井戸に入れば撃つ余裕なんてないから」

進路レーン十時方向テントゥ下降ダウン右折ライト!』


 目線が低くなり、井戸の位置がわかりにくくなったフィオを、ランティスが支援する。距離を読む声に合わせ、フィオは旋回姿勢に入った。井戸の大口を捉えると同時に、右へ重心を傾ける。

 レイラ・ヴァヴは、ヒルトップ家の井戸と違い螺旋らせん階段が底までつづいている。コースは階段に沿って設定され、フィオとシャルルは渦を描きながら暗がりへ駆け下りていった。

 だが突然、後ろから衝撃を受けて前につんのめる。


「ちんたらしてんなよ。欠伸が出るぜ」


 振り向くと、ジンがすぐ後ろでネコのように目を細めていた。

 悔しいが、やはり急旋回がつづく場面で、翼竜科の機動力には勝てない。シャルルが詰めきれなかったわずかなふくらみを、ギョロメは確実に突くことができる。


「私の尻を追いかけてないで、さっさと一位のほうに行きなさいよ」

「おっと、ヤキモチか? 心配すんなって。お前の尻をもてあそんだら抜いてやるから」

「へえ。本当に抜けるかな。溺れるのはあなたのほうかもね」


 強がりと思ったのか、フィオが言い返してもジンは笑みを崩さなかった。

 陽光を照り返す水面が近づいている。秘策に出るのは、井戸の底に着いた瞬間だ。不安でも迷いがあっても進むしかない。


「ランティスさん、この状況わかりますよね?」

『……わかった。腹を括るよ。ジン・ゴールドラッシュを引き離そう』

「頼みます」


 シャルルとギョロメはもつれるように螺旋を描く。そして最後の一周に入った時、ギョロメが動いた。内角からしなやかに身を割り込ませ、前に出る。

 しかしフィオに焦りはない。むしろ好都合だ。

 ひと足先に底へ辿り着いたギョロメは、上昇に転じるため壁に沿ってぐるりと回り、勢いと進路を整える。

 その瞬間底に着いたシャルルは、まっすぐ壁に向かって飛び、身をひるがえしながら石壁――それを保護する防壁ガードの光を踏みつけた。


「んなっ!?」


 護石ごせきの青い光が波状に瞬く中、ジンの声が反響する。フィオとシャルルは彼らに目もくれず、半透明の壁を蹴って一気に飛翔した。

 丸く切り取られた夏の青空がぐんぐんと大きく近づく。


「ここまでは、作戦通り……!」


 壁を使った旋回の短縮。それがフィオの秘策だった。建造物や観客を守る防壁ガードへの接触に、ペナルティはない。だがこの策にはふたつ欠点がある。

 ひとつは身をひるがえすシャルルの動きに、フィオの足がついていけないことだ。案の定、患部はズキズキと痛みはじめた。

 そしてふたつ目は、進路を整えることができないこと。今フィオは進行方向に対して、どっちを向いているかわからない。正しいコースの位置をナビに指示してもらわなければ、大きく逸れる恐れがあった。

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