141 あの夜のつづきを③

「あ……っ? ジョットくん!?」


 気づけばジョットが目の前に迫っていた。フィオはとっさに顔を背けたが、唇の端にやわらかいものが押しつけられる。

 肌がパッと熱に染まった。それはじわじわと目まで侵して、満たされる感覚に力がほどけそうになる。

 ジョットの唇がフィオの上唇をそっとなでた。すべてを奪おうと、熱い呼気が覆いかぶさってくる。フィオはぎゅっと目を閉じ、彼を突き飛ばしてベッドから下りた。


「本当にわからず屋だね」

「わかりませんよ。フィオさんはいつもそうやって逃げるからっ。法律もキースも未来のことも取り払った、あなたの気持ちを聞かせてください! 俺はあなたの本音が欲しいんだ!」

「好きとか嫌い以前の問題なの! 思いだけじゃどうにもならないことだってある!」


 ジョットの残響を振り払って、フィオは叫んだ。心のぬくもりは消え、ただ震えるばかりの手を握り締め、役立たずの足を殴る。


「寝たきりの私を誰がめんどう看る!? どうやって生活していく!? 仕事も家事も私の世話も押しつけるなんて堪えられない! ましてやあなたは未来ある若者なんだから! 終わりが見えた私なんかより、いっしょに未来を歩めると幸せになるべきでしょ……!」


 ジョットの育ての親コリンズ夫妻だって、認めやしないだろう。齢十五にして、介護生活をさせるためにひとり息子を育ててきたはずがない。いずれ宿屋をゆずる気ならなおさらだ。動けない嫁など荷物でしかない。


「それなら、キースだって同じじゃないですか」


 ジョットの指摘に、足が駄々をこねるようにズキズキと痛みはじめる。


「そうだよ。私はきっとひとりで終わるんだ」


 別に、早まっただけだ。足の治療法が見つからないのだから、その日は必ず来る。びくびくと怯えて暮らすくらいなら、いっそ謳歌おうかして好きなことをしてやるのだ。

 だけど、私とジョットくんはもう潮時かもしれない。

 自嘲の笑みを浮かべて、フィオはすっかり冷めた桶の水を替えに部屋を出た。




 マドレーヌ誘拐未遂事件から三日後。


「三十八度九分か……」


 ジョットは怪我から発熱し、二日間うなされていた。今日も回復する兆しは見えず、熱は細い体をむしばみつづける。

 レースの練習に打ち込むかたわら、フィオはなるべくジョットのそばにいるようにした。額のタオルがぬるくなる度に替え、なにかあった時すぐ対応できるよう同じ部屋のソファで寝起きしている。


「フィオ、さ……ハアハア。こんなの、すぐ、治します、から……。ナビは、おれが……安心、して……」

「ジョットくん?」


 耳を寄せるも、返ってくるのは荒い呼吸ばかりだ。ジョットはこうして夢現ゆめうつつをさ迷い、時折思い出したようにフィオを安心させようとしてくる。


「ばか。自分の心配しなさいっての」

「フィオさん、ウォーレスくんの調子はどうだい?」


 そこへ扉がノックされ、ランティスが顔を出した。病人に障ることを危惧してか、中には入ってこようとしない。フィオは廊下に出て、離れた壁のほうへ寄ってから首を横に振った。

 とたん、ランティスは気遣わしげに眉をひそめる。


「そうか。明日が登録変更締めきり日、だよね」


 ドラゴンやナビに変更がある場合は、大会一週間前までに申請しなければならない。その期日が明日に迫っていた。

 フィオはジョットの部屋を振り返る。一週間もあれば熱は引くだろう。しかし倦怠感などの余波がどれほどのものか、予測できない。

 ジョットの性格は、あのうわ言通りだ。無理をして、熱がぶり返すこともあり得る。


「ジョットくんの登録は取り消します。当日は睡眠薬飲ませてでも大人しくさせますよ」

「ナビはどうするんだい」

「つけません。私ひとりで飛びます」

「だったら、きみのナビを僕にやらせてくれないかな」


 思ってもみなかった申し出に、フィオは目をぱちくりさせた。

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