138 看病③

 今だ。ジョットが頭を抱えて悶絶しているうちに、フィオはせっせとボタンを外しにかかる。しかしこの作戦もバレてしまい、頑なに夜着の合わせを握って放さない。


「背中だけ。前は自分でやります」


 葛藤しながら、とても悔しそうに絞り出すので、譲歩してあげることにした。

 上着と肌着を脱いだジョットが背中を向ける。フィオは水気をしっかり絞ったタオルを持った。

 出会った頃には、ここにも見るに堪えないアザがあったのだろうか。しかし今は、傷ひとつない肌理細やかな背中が広がっている。

 肩甲骨や椎骨ついこつの浮き上がりが少し目立つけれど、ジョットの肌は色白で、女のフィオから見てもうらやましいくらい美しかった。


「ジョットくんの背中きれいだねえ」

「知りません。そう言われてもうれしくないです」


 怒っているというよりは、緊張した声だ。あまり時間をかけるのも悪いと思い、フィオはさっそく首からタオルをあてがう。

 ベッドがきしむ音を立てる。ジョットが逃げるように身じろいだからだ。やっぱり彼は、これまで相当無理をしてきたんだと確信する。きっとマドレーヌだったら、こんなに身構えていない。

 この子どもに価値や意味を見出だされ、自分がどれほど舞い上がっていたか思い知らされた。

 私じゃなくてもよかったんだ。

 そんなを彼に求めること自体、間違っている。


「んっ」


 突然、聞いたことのない不思議な声がして、フィオは手を止める。声の主はジョットしかあり得ないのだが、それにしては儚く可憐で、なにか根っこを逆なでられるようなものを感じた。


「ジョットくん? くすぐったかった? ごめんね」


 タオルをあてたのが脇の近くだと気づいて、フィオはいったん手を離す。ジョットはちらと気まずそうな目を寄越した。


「いえ……。もう少し強めにしてくれますか」

「うん。わかった」


 うなずいたものの、細くて白い背中を前にすると力加減に迷う。フィオは気持ち強めにして、手早く拭いていく。

 そして包帯を取り、傷に障らないよう腰を慎重になでた時だった。


「ひ、あっ」


 小竜科の幼体ドラゴンのような声が、ジョットの口から飛び出した。ここは聞き流すべきだ。一瞬止まってしまった手を、フィオはなにごともなかったように動かす。

 しかしその度に、彼の肌はヒクヒクと震えていた。


「ばっちりきれいにしてあげたからね。フィオさんに感謝してよ」


 背中を拭き終わると、フィオはすばやく離れてわざと大仰に振る舞った。


「……引きましたよね、絶対」

「ん? なんのこと。タオル一回すすぐから、ちょっと待ってね」

「いいですから、そういうの。かえって嫌です」


 そう言われても、とフィオは首をさすりながら目を横に流す。

 ジョットの先ほどの声は、単にくすぐったかったからで片づけるには、色が乗っていた。あの反応は無邪気に笑い転げる類いのものではなく、性的快感だ。

 きっとジョットは人より敏感なのだろう。そのせいもあって、接触を苦手としているに違いない。

 未成年相手には、できれば避けたい話題だ。しかし、背中を向けたままうつむく彼を放っておくこともできず、フィオはすすいだタオルを手に歩み寄る。


「ごめん。私の考えが足りなかった。まだランティスさんのほうがよかったね」

「いえ、フィオさんに触ってもらえる昇天イベントが、ゲロ地獄になるんでそこはいいんですけど」

「こら、言い過ぎ。それに嫌だったら、私にもそれくらいきっぱり言っていいんだよ?」


 とたん、ジョットは勢いよく振り返って、ベッドを叩きつけた。


「フィオさんはいいんです! むしろ、フィオさんじゃなきゃ許してません」


 脳裏にマドレーヌが浮かんだが、フィオはすぐに考えることをやめた。この話題に少女を引っ張り出すのは不適切だ。

 なにより、ファース村から遠くこのセノーテまでジョットと紡いできた絆が、あとから来た人物にあっけなく追い越されるなど認めたくない。

 それくらいにはジョットに情を抱いている。

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