136 看病①

「そうですね。だってあなたの言葉はどれも俺を突き放していない。むしろ――」

「医者を呼んでくる。ベッドから動いちゃダメだからね」


 フィオはわざと遮り、足早に廊下へ逃げ出した。


「……うん、いいでしょう。このまま安静に過ごしてください。傷が熱を持つかもしれないので解熱剤と、痛み止めを処方しておきますね」


 ジョットの包帯を替えた医師は、そう言っておっとりと笑った。母リリアーヌといっしょにそれを聞いていたマドレーヌは、ぴょこんと跳ねて喜ぶ。


「よかったですのー! これでまたいっしょにケイコができますの」

「こらこら、マドレーヌ。ジョットくんはまだ一週間はお休みしなきゃダメなのよ」


 ベッドに駆け寄ろうとした小さな足が、ぴたりと止まった。マドレーヌはぷくりと頬をふくらませ、かたわらのトルペに「つまらないですの」とぼやく。

 事件後もマドレーヌは変わらず無邪気な表情を見せてくれる。そのことにフィオもリリアーヌも救われていた。ジョットもまた、やさしく微笑んで少女を手招く。


「一週間経ったら、また相手してやるから」

「ほんとう!? 約束ですの!」


 眼前に差し出された小指に、ジョットは目をまるくする。しかしすぐに意味を理解して、ためらいなく自分の小指をマドレーヌに絡めた。


「ジョットくん、フィオさん。改めてお礼を言わせてください。娘を助けて頂き、本当にありがとうございます」


 リリアーヌが深く頭を下げる。凛とした母の声はしかし、言葉尻がかすかに濡れて震えていた。

 ヒルトップ夫妻からの礼は、フィオの治療時にも受けたが、正直困る。ジョットからもどう返したらいいか迷う目を寄越され、フィオは口を開いた。


「リリアーヌさん、顔を上げてください。私たちにも落ち度があります。草原でマドレーヌから目を離してしまいました。そもそも私が、外に連れ出さなければ……」

「それは言わないでください。外出の許可を出したのは私です。うれしかったのです、私は。あんなに生き生きとはしゃぐマドレーヌは、久しぶりに見ました」


 リリアーヌが手を差し伸べる。娘は素直に寄り添って、母の手に甘えた。やわらかな髪をそっと整えてやるリリアーヌの目には、惜しみない慈愛が込められている。


「竜騎士になるという夢は叶えてあげられません。だからせめて、それ以外のことでは自由に羽ばたかせてやりたいのです」

「でもお父さまがじゃまするですの!」


 小さな胸を張って怒ってみせるマドレーヌに、ジョットもリリアーヌも医者もくすりと笑う。身をかがめた母が、子守唄のように包む声でささやいた。


「それもあなたを愛しているからこそよ」


 きょとんと首をかしげるマドレーヌを映しながら、フィオは青髪が目の端にちらついて、うまく笑えなかった。


「またなにかありましたら、お知らせください。すぐに駆けつけます」


 そう言って医師は、見送りに立ったフィオとリリアーヌに会釈した。白髪に染まった頭に帽子をかぶりかけて「ああ」と声をこぼす。


「ベネットさん。いくら痛み止めがあっても無理はしませんように。早急に医者にかかることをお勧めしますよ」


 げ。と出かけた声を、フィオはすんでのところで堪えた。ジョットに聞かれたか焦る気持ちを抑え、無理に笑う。歯の隙間から絞り出した「はい」という返事を、医者が咎めなかったことは幸いだ。

 そのまま玄関まで送るという母に、マドレーヌもついていく。入れ違いで医師に出したティーカップを下げに来たメイドに、フィオは用事を頼んだ。


「ふうん。今日は足の調子よさそうだなって思ったら、そういうことですか」


 ふたりきりに戻ったとたん、ジョットが声をかけてきた。ばっちり聞かれている。ベッドとソファセットがあっても、シャルルが寝そべられるくらい広い部屋だというのに、まったく耳聡い。

 フィオはすまし顔で、優雅にナイトテーブルまで歩いてみせた。


「私はいつだって絶好調だよ、ジョット少年」

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