133 階段井戸の神殿③

 浮かび上がったのは女性の肖像画だった。白い服を着て、豊かな金の髪を肩に流し、微笑んでいる。頭に花冠を乗せて、幸せそうにほころんだ目は水色だった。

 誰かに似ている。

 私はこの顔をどこかで見ている。

 強烈な既視感に見舞われるフィオの脳裏に、いつもリビングに飾ってあった転写絵が過った。


「お、母さん……?」

「そうか。フィオさんの母君にも似ているのだな。私はきみに似ていると思った。いや、似ているどころではない。お陰で会った時は心臓が止まりかけた」

「わたし……?」


 グリフォスの言葉が飲み込めず、フィオはもう一度壁画に目を凝らす。言われてみれば母はもう少し色白だ。肖像画の女性の肌は、空を飛び回るフィオのようにほんのり小麦色に染まっている。

 それに母の目はひと重だ。フィオも子どもの頃はひと重だったが、大人になっていつの間にかふた重に変わっていた。壁画の女性もくっきりふた重に描かれている。

 母シャルロットの姿は転写絵でしか知らない。フィオのように肌が焼け、ふた重だった時期があったのだろうか。

 いいや、バカげている。きっと他人の空似だ。

 しかし肖像画は見れば見るほど、自分に似ている気がした。不気味なほどに。


「きみの母君の家は、セノーテやヒルトップ家に縁が?」

「母の家は古くからヒュゼッペの地方名士と聞いています。私が生まれてすぐ母は亡くなり、親戚とも疎遠だったのでなんとも言えませんが」

「それが本当なら、海を渡った遥かこの地と繋がりがある可能性は薄いか」


 グリフォスと会話しながらも、フィオは壁画から目が離せなかった。シャルルに頼んで、おそるおそる近づいてみる。

 壁のところどころは剥がれ落ち、絵が欠けていた。塗料もひび割れがひどく、経年劣化でせている。フィオはグリフォスを振り返った。


「これはどのくらい前に描かれたものなんですか?」

「古物学者が言うには、およそ千年前のものだそうだ。人竜じんりゅう戦争時代、族長チェイスの妻という見立てだ」

「人竜戦争……」


 今となっては信じがたい話だが、人とドラゴンはかつて敵対関係にあったことを、フィオも学校で習っている。クマやオオカミが縄張りを争い、時に獲物を狩ることと同じだ。

 人とドラゴンも互いの領域を侵し、命を奪い合う。言い換えれば生物同士ごく普通の関係だった。

 過去に一度、この対立が激化した期間がある。それがおよそ千年前、人竜戦争と呼ばれる時代だ。


「各地の部族長が集まったところに、ドラゴンの大群が押し寄せてきて、戦争がはじまったとされていますよね」

「その狂乱の時代が、再び巡ってきたのだとしたら」


 コツンと靴音を響かせ、横に並んだグリフォスにフィオは眉をひそめる。


「どういう意味ですか」

「歴史を振り返れば、ドラゴンは元々人と共生などできない狂暴な種族だということだ。彼らの中にはその血が眠っている。とりわけ、長寿とされるロワ種には」

「その親玉の影響を受けて今、各地のドラゴンが暴走している、と?」


 グリフォスは静かに目を伏した。戻ってきたグロリアの首をそっと叩いて労う。彼もひとりのライダーとして、ドラゴンと争うなど望んでいないことは、そのやさしい仕草を見ればわかった。

 ロワ種と聞いて、フィオの胸にも不安が芽生える。鉱物科ロワ・ベルクベルク。竜鰭りゅうぎ科ロワ・ヨルムガンド。滅多に人目に触れない伝説級のドラゴンを、ここ最近連続で目撃している。

 つまり彼らがそれだけ、人の領域に近づいているということだ。

 最年少ロードスター、ハーディ・ジョーの相棒である自然科ロワ・ヴォルケーノからは、敵意を感じない。だが、ロワ種が人に従うという異常さは、なにかの予兆とも考えられた。


「フィオさん。勝手ながら私は、きみにこそ問いかけたいと思っていた」


 出し抜けにグリフォスが口を開く。フィオを見る目には団長としての威厳と、一介のライダーとして挑むような熱がはらんでいた。

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