130 零れる無垢の血④

 誘拐犯の悲痛な叫び声が耳をつんざき、フィオは勢いよく顔を上げた。

 その瞬間、二発目の銃声が放たれる。ランティスの肩越しに、頭からパッと赤い水しぶきを散らすゲミニ・カブトが見えた。

 片割れはかすれた声で、撃たれた双子を呼ぶ。その首からも血が滴っている。

 双頭が力尽きて垂れ下がると、翼腕は糸が切れたように動かなくなった。ドラゴンの体は惰性で滑空し、フィオたちの頭を越えて墜落する。

 しばらくもがいていた下肢と尾は、やがて沈黙した。




 フィオはヒルトップ家の庭でひざを抱え、うずくまっていた。

 背を向けた屋敷の一室では、ジョットの治療がおこなわれている。最初は廊下で待っていたが、時計の針が進むごとに叫び出したいような衝動が募って、堪らず外に出てきた。

 かたわらに寄り添うシャルルが、しきりに鼻を鳴らしてにおいをかいでくる。


「……だいじょうぶ。痛くないよ」


 嘘を言った。肩も腰も足も、ただ座っているだけで痛い。リリアーヌはフィオにも治療を勧めてくれたが、今はとても受ける気になれなかった。

 自分のせいで怪我を負ったジョットの無事が確約されるまでは、やさしさも慰めも受ける資格はない。この痛みは罰だ。


「ここにいたのか、フィオさん」


 芝生を踏む足音が背後で止まった。少しかすれて、揺れるような声色は竜騎士団団長グリフォスのものか。

 一度ここでいっしょに眠ったフォース・キニゴスのグロリアが、フィオの顔を覗き込んできた。団長の相棒ドラゴンだ。

 どうもヒルトップ家の人間は、フォース・キニゴスに好かれるらしい。父、長男、長女と、家族の相棒がここまでそろっているのは珍しかった。


「フィオさん。ジョットくんの治療は無事に終わった」


 ハッとして、フィオは立ち上がろうとした。しかし全身が痛み、思うように体が動かない。手をついてグリフォスを見上げる。それだけのことが、やけに重く感じた。

 手でフィオをなだめ、グリフォスは片ひざをつく。


「幸いにも弾は脇腹をかすめた程度だった。一週間は絶対安静だが、一ヶ月ほどで完治する。もうだいじょうぶだ」


 よくがんばったな、きみも。

 そう言ってグリフォスは微笑み、フィオの頭をなでた。とたん、フィオの腕は震え力が抜ける。芝生に額をすりつけ、大きく息をついた。


「よかった、ジョットくん、ジョットくん……! 神様、ありがとう……」

「きみが必死にマドレーヌを守ってくれたことは、ランティスから聞いている。どうか治療を受けてくれ。マドレーヌも心配しているんだ」


 グリフォスの手が差し伸べられた。起き上がる力も残っていなかったフィオは、彼の手を借りてどうにか立ち上がる。そのまま屋敷へとうながされたが、フィオにはもうひとつ気がかりがあった。


「グリフォス団長。あの誘拐犯のゲミニ・カブトは、死んだのですか」


 グリフォスは黙した。それがなによりの答えだった。


「状況は理解しています。しかしそれでも、殺す必要があったのでしょうか。そばにはコレリックとシャルルもいたんです。二頭で押さえることもできたはずでは」


 素人の甘い考えだと言われればそれまでだが、フィオは問いかけずにはいられなかった。

 誘拐犯の叫び声が耳から離れない。悪人だろうと、ドラゴンを想う絆は同じだ。相棒を目の前で失った苦しみは、推し量れるものではない。中には、ドラゴンを追って自ら命を断つ者もいる。

 グリフォスは遠くを見つめた。重々しい声が静かに響く。


「先日。暴走したドラゴンにより、子どもがひとり犠牲になった」


 目を見張り、フィオは唇を噛む。暴走したボア・ファングを見た時から、いつかこうなることは頭の片隅にあった。


「以来、全竜騎士には、やむ得ない場合においてドラゴンの射殺を許可している。今回の件ではフィオさんの言う通り、コレリックやシャルルに任せる選択もあった。また発砲した竜騎士が焦ってしまったことも、本人から聞いている。殺す必要はなかったかもしれない」

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