128 零れる無垢の血②

 怯んだ男の隙をついて、フィオはシャルルの背中から飛び出した。男の背後からかじりつき、マドレーヌを拘束する手を剥がしにかかる。

 突然の乱入者にゲミニ・カブトは怒り狂った。翼をいっそう振り乱し、ふたつの頭でフィオとシャルルに噛みつこうとする。

 その時、フィオの手が男の指を掴んだ。

 シャルル、離れて!

 心で合図を送ると同時に、男の指を力いっぱいあらぬ方向へひねり上げる。

 男の悲鳴が響いた。フィオの手に枝の折れるような振動がかすかに伝わる。ゆるんだ腕からすかさずマドレーヌを掻き寄せた。


「このクソがあああっ!」


 激昂げっこうした男が闇雲にナイフを振り回す。フィオはマドレーヌを胸にかばい、ドラゴンの背を蹴った。瞬間、頬に鋭い熱が走る。

 しかしそれ以上男のナイフは届かず、フィオとマドレーヌは宙を落ちていく。


「きゃあああ!」

「だいじょうぶ! シャルルを信じて!」


 フィオの言葉に応えるようにシャルルの咆哮が響いた。直後、シロガネ草の海原を割ってナイト・センテリュオが駆けつけ、ふわりとすくい上げるようにフィオとマドレーヌを受けとめる。


「大好き、相棒」

「フィオさん上です……っ!」


 ジョットの叫び声が聞こえた時には、重い衝撃がフィオたちを突き飛ばしていた。

 一度かわした補佐役の男だ。フィオはすぐに理解したが、シャルルから離されてどうすることもできない。

 襲ってくるだろう衝撃に備えて、マドレーヌを抱き締めて歯を食い縛った。


「……しょ……し……ししょお……っ!」


 揺さぶられる振動とマドレーヌの声で、フィオは目を覚ました。なにが起きたのかわからないまま、慌てて身を起こす。しかし肩に激痛が走り、それは叶わなかった。背中から腰にかけても、ズキズキと鈍痛が体を苛む。

 気を失ってたんだ……!

 ようやく状況を理解したが、もう遅かった。夕空を切り取るシロガネ草の間から、男がぬっと現れる。手には銃を持ち、ゆっくりと肩を叩く。

 フィオはシャルルを呼んだ。しかしゲミニ・カブトに追いかけられ、フィオに応える余裕がない。


「手間取らせやがって。まあいい。おまけがついたと思えばな。女ライダー、お前はすぐに売り飛ばしてやるよ」


 チッチッチッ。

 男は耳障りな舌打ちをしながら、銃を構えた。マドレーヌが短い悲鳴をもらす。震える小さな体を抱き締めてあげたかったが、フィオは背中のほうへ押しやった。

 銃口がフィオの頭から胸へなぞるように下がり、太ももに固定される。男の指はもったいつけて引き鉄にかかり、無精ひげを生やした口元がいやらしくつり上がった。

 その時、


「フィオさんっ!」


ジョットの声と同時に銃声が鳴り響く。

 しかし、しばらくしても痛みが襲ってこない。フィオはとっさに閉じていた目を開けた。とたん、飛び込んできた光景に息を呑む。


「ジョット……!」


 フィオと誘拐犯の間にジョットが立ちはだかっていた。両腕を広げ、肩で息をする背中が、いつになく大きく映る。

 だが次の瞬間、ジョットの体は崩れ折れた。ひざをつき、堪えきれずに地面へどうと倒れ込む。


「ジョット!? ジョット!」


 駆け寄ろうと、フィオは足に力を入れた。しかし患部はとうに限界を迎え、痛みに怯えた筋肉は震えるばかり。背中や腰も痛みを訴え、体を支える力さえない。

 残った片腕と片足だけで、フィオは地面を這いずった。ジョットを覗き込んですぐ、脇腹から血を流していることに気づく。


「だめ、だめ……ジョット、いや……」


 震える手でハンカチを取り出す。赤い染みがみるみる広がっていく服をまくり、赤黒く濡れた患部にハンカチを押し当てた。

 ジョットはうめき声を上げて、わずかに身をよじる。額には尋常ではない汗が浮かんでいた。


「ジョットっ、ジョット! ごめ、なさ、私のせいでっ」

「フィオ、さん……ぶじ、ですか……」

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