116 追放された大蛇③

「うあああ。よかったあ」

「また日銭稼ぎ暮らしかと思いましたよ……」


 そろって脱力したフィオとジョットは、ささやかに肩を叩き合う。そんな貧乏くさいふたりを、キースは呆れた目で見ていた。


「お部屋にお戻りでしたら、温かいお飲み物でもお持ちしましょうか?」

「いえ、だいじょうぶです。支配人も少しでも休んでください」

「恐れ入ります。では失礼いたします」


 恭しく一礼して支配人は部屋を出ていく。それを待っていたかのように、キースが口を開いた。


「フィオ。お前は無茶し過ぎだ。そんな足で」


 ほらはじまった。


「今後またこんなことが起きても、自分の身を守ることだけを考えろ」

「助けを求めてる人が目の前にいても?」

「助ける側にも、相応の覚悟と能力がいるんだ。お前が足手まといになったらどうする。オリバーさんのこと引きずってるのはわかるが」


 父の背中を呑み込んだ炎がよみがえる。帰りを待ち焦がれた時間は、途方もない恐怖だった。

 溶けたアイスは空しく地面に落ちて、二度と戻ることはない。手にも足にもベタベタこびりついて、あの時の感触はいつまでも残りつづける。

 からっぽのコーンを埋めてくれる人はもういない。


「やめろよ。フィオさんを責めてどうすんだ」


 シーツを握り締めていた手が、ふとぬくもりに包まれる。顔を上げると、ジョットは険しくキースをにらんでいた。重ねられた手に力がこもる。


「この人がレースになにを懸けてるのか、わからねえのかよ。覚悟なんて今さらだ。それにあんた、フィオさんの親でも本当の兄貴でもないのに、出しゃばり過ぎなんだよ」

「ジョットくんそれは……!」


 ハタと気づいて、フィオは口を閉じた。いっしょに育ってきたキースを兄と思わず、ひとりの異性として見てきたフィオも同じなのではないか。

 兄として家族として、見守ってきたキースの心を踏みにじっている。


「……悪い。確かに言い過ぎた。責めるつもりじゃなかったんだ」

「あっ。キース!」


 目を泳がせ、足早に出ていこうとするキースを、フィオは思わず引き止める。けれど言うべきことが見つからなかった。知らず知らず、キースの思いを裏切っていたことに戸惑い、のどが詰まる。


「お前らも、早く休めよ」


 それだけ言ってキースは扉を閉めた。口元に浮かんだ笑みは苦々しくて、そんな顔をさせてしまったのかと思うと、フィオは一歩も動けなかった。


「ふん。いいんですよ、放っておけば。たとえ本物の家族だろうと、キースにフィオさんを縛る権利はないんです。誰にも、自分の人生に口出しなんてさせない……」


 まるで自分を抱き締めるように、ジョットは二の腕をなでる。その袖の下になにがあったのか、うつむく瞳になにが映っているのか、フィオは知っていた。

 まだ少し湿っぽい黒髪をそっとく。


「子ども扱いはやめてくださいって言いましたよね」

「違うよ。大事なナビ扱いしてるの」

「……なら、いいですよ」


 むすりとしたまま頭を傾けてくるジョットに、フィオは人知れず微笑む。


「そうだ。子ども扱いと言えば、舞踏会での話のつづきを――」

「さあって! そろそろ私たちも部屋戻ろっかあ!」

「思いきり話逸らしましたね? いいんですか、お医者さんの許可なしに」

「いや、医者はまずい」

「それカタギの人が言うことじゃないですって」


 フィオが目覚めた時から、医務室に医者の姿はなかった。怪我人が数十名いると言っていたから、その処置に追われているのだろう。

 戻ってきて足のことを聞かれるのはめんどうだ。用意されていたスリッパをつっかけ、フィオはベッドから立ち上がる。


「い……っ!?」


 その瞬間、激痛が足のつけ根を襲い、悲鳴がもれた。油断していたこともあるが、ハーネスなしの飛行は大きく症状を悪化させたようだ。

 前のめりによろめく体を、ジョットが支えてくれる。

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