115 追放された大蛇②

 そう言えば、と窓を見ると外はまだ夜だった。竜騎士といえど、この暗闇の中で海を渡ってくるのは危ない。


「じゃあ僕はそろそろ、船の警護にあたるよ」


 ベッドから立ち上がるランティスの腕には、包帯が巻かれていた。フィオはにわかに不安になって、ランティスを呼び止める。


「あの、被害状況は。怪我人は大勢いるんですか」

「十数名の怪我人が出てるけど、みんな僕らより軽傷だそうだ。死者と行方不明者はいない。フィオさんが助けた男の子も、無事ご両親と会えたよ」

「シャルルもピンピンしてる。しっぽには歯形がついたくらいだ。竜医から、さすが鉱物科だって言われて得意げだったぞ」


 キースからシャルルの様子も聞けて、フィオは肩から力が抜けた。相棒の気配を探ってみると、上の部屋あたりから狂喜乱舞する感情が雪崩れ込んでくる。今にもこちらに突撃してきそうで、フィオはたしなめつつ感覚を切った。


「ヒルトップ様、ベネット様、カーター様。そしてエマーソン様とウォーレス様。改めてお礼を言わせてください」


 頃合いを見計らっていたように、船長が重々しい表情で姿勢を正した。支配人もハッと気づき、すばやく並び立つ。


「この度は、ご協力頂き誠にありがとうございます。ドラゴンの襲撃という、前代未聞の事件に遭いながらも被害を抑えられたことは、ひとえに皆様のご尽力があってのことです」


 脱帽し、深く頭を垂れる船長にならい、支配人も思いのこもった所作で腰を曲げる。そのまま船長はつづけた。


「また、大事なお客様でありながらお守りできなかったこと、初動が遅れたことを、深くお詫び申し上げます。申し訳ございません」


 フィオはみんなの顔を見て、気にしている者は誰もいないと思った。取り残される人を放っておけないのはフィオの性分であり、キースもヴィオラもジョットも、レーサーとナビとして誇れる行動を取ったに過ぎない。

 船長と支配人にフィオはにこりと笑いかけた。


「顔を上げてください。深海に棲む竜鰭科が、浮上して襲ってくるなんて誰も思ってなかったんですから。全員無事だった。それで十分です」

「僕のほうこそ、竜騎士としてお礼を言わせてください。ともに戦ってくれた従業員の方々に、深く感謝いたします」


 ランティスが竜騎士流の敬礼をすると、船長と支配人はますます低頭平身ていとうへいしんする。すっかり眉を下げ、ランティスが困り果てた顔をするものだから、フィオとジョットは思わず笑ってしまった。

 その後、ランティスは船長と警備の相談をしながら退室した。ヴィオラもキースと連れ立って戻ろうとしたが、彼はフィオの事情聴取を聞きたがった。

 その行動がフィオには、ズキズキと引かない足の痛みを見透かされているように感じ、やたら緊張させられる。ここまで来て、レースのことで問答するつもりはない。あと一勝――上位四位に入れば、最終レースに進めるのだ。

 もうあと戻りなんかできない。

 この心も、この足も。


「詳しく話して頂きありがとうございます。こちらの記録は明日、竜騎士団にお渡しいたします。おそらくベネット様もウォーレス様も質問を受けることになりますが、その時はよろしくお願いいたします」

「わかりました。支配人も遅くまでありがとうございます」


 手帳を閉じて立ち上がった支配人は、フィオの礼に目をまるめた。傍目から見ても疲労を隠しきれない顔に、うっすら笑みを浮かべる。


「もったいなきお言葉。わたくしは支配人として、お客様に寄り添わせて頂いているだけです。延びた分の宿泊代は頂戴いたしませんので、ご安心ください。それと借りていたお召し物の件ですが」


 サーッと血の気が引く。フィオは弾かれるように自分の格好を見下ろした。服は客室に備えつけの部屋着に替わっている。

 ズタズタに破った挙げ句、水浸しになったドレスを思って、ゴクリとつばを飲んだ。


「貸し衣装屋代表の方が『子どもの命には替えられない』と、快く許してくださいました。こちらもご安心くださいませ」

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