112 海に棲むドラゴン③

 圧されて逃げ惑う竜鰭科を見て、シャルルも我を取り戻し羽ばたきが鎮まる。


「よし、ジェネラス。ひと思いにやれ」


 ジェネラスは掻き分けた触手の中に塊を見つけると、大きく口を開けて突っ込んだ。絡み合う触手ごと男の子をくわえると、翼を振って引きちぎる。

 触手ドラゴンは悲鳴を上げ、フィオとシャルルを放して海へ逃げ去った。ジェネラスの口からキースの腕へ渡った男の子に、フィオも駆け寄る。

 まとわりつく触手をふたりでむしり取った。それらはまだ生きているかのようにうごめいていたが、次第に灰色に変色して力を失う。

 男の子の顔が顕になった。


「だいじょうぶ!? ねえっ、しっかりして!」


 目を閉じてぐったりしている男の子に、フィオの心臓は早鐘を打つ。生気がないように見える頬へおそるおそる触れた。

 すると、まぶたがぴくりと動く。ハッと顔を見合わせたフィオとキースの間で、ぐずるような声がこぼれた。


「お、ねえちゃん……?」


 男の子は目をうっすらと開き、咳をしながらも確かにフィオを見た。


「よかった。もうだいじょうぶだからね! すぐお父さんとお母さんを探すから……!」


 思わずにじんできた涙を拭い、男の子を抱き締めようとした時、フィオは耳鳴りがした。それは今までにないくらい強く、片耳が重く感じるほどだった。

 その重力に引き寄せられるように、頭が振り向く。

 ガシャンッ。

 なにかが割れる音とともに、照空灯のひとつがフッと消える。とたん、フィオの中にあふれてきたのは緊張、焦燥、恐怖、そして少しの闘志だった。


「ジョット!」


 直感としか言いようがない。倒れた照空灯、その上に陣取る青い模様の竜鰭科が、ジョットを狙っている。フィオはそう確信してシャルルを向かわせた。


「来るな! 下がれ!」


 ジョットの声が響く。彼は竜鰭科ドラゴンから距離を取り、船のへりへ逃げ出てきた。交信能力が効いているのか、ドラゴンはびくりと怯む様子を見せる。

 今だ! フィオは歯を食い縛って前傾姿勢を取り、駆け抜けながらジョットを引き上げようとした。しかし、


「うわあ!?」


海からぬっと現れた影に、ジョットは羽交い締めにされる。

 もう一頭の青い竜鰭科だ。それは暴れるジョットなど物ともせず、暗い海へ引きずり込んでいく。


「ふざけんなっ! ジョットは私のナビだ! 返せえっ!」


 シャルルは速度を落とさず上昇し、宙返りする。そして頭を下に向け、風を切って急降下へ転じた。


「ジョットオーッ!」

「フィオさん……!」


 フィオとジョットは互いに手を伸ばす。

 彼の体は竜鰭科ごと海面に叩きつけられ、高い水しぶきが舞った。その中で細い手はまだ辛うじて見え、シャルルはさらに強く羽ばたく。


「ギャウ!?」

「シャルル!?」


 突然、シャルルが大きく体勢を崩した。フィオは背中から投げ出され、体が半回転する。そのせつな見えたのは、シャルルのしっぽに噛みつく青い竜鰭科ドラゴンの姿だった。

 照空灯を壊した個体が追いかけてきていたのか。


「私のことはいい! まずはそれを振り払え!」


 しっぽよりもフィオを優先しようとするシャルルの意を察し、叫ぶ。相棒はひどくうろたえた目をした。それがまだ、足元も覚束なかった幼体のシャルルと重なって、フィオはやさしく微笑む。

 しかしすぐに身をひるがえし、頭を下にして海に飛び込んだ。そろえた両足で水を蹴って、泡の中を突き進む。

 ジョットは思ったより深く沈んでいなかった。ドラゴンのひれを引っ張って、連れていかれないように抵抗している。

 その背後に近づき、フィオは渾身の力でドラゴンの頭部を蹴った。


「ウラァアワウ……ッ!」


 地上のドラゴンよりも皮ふがずっとやわらかい竜鰭科には、効果があったらしい。雄叫びを上げてジョットを放し、泳ぎ去っていく。

 フィオはジョットを胸に隙間なく抱き締めた。海中でもはっきり感じるぬくもりが、なによりも尊く心を満たす。抱き締め返したジョットの腕もまた、同じ思いだと物語っていた。

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