110 海に棲むドラゴン①
夜空にはすでに、ランティスがコレリックに跨がり上がっていた。
「ジョットくん、ふたりを中へ!」
「はい!」
ランティスとシャルルが竜鰭科たちをかく乱している今が好機だ。
女の子を抱えたジョットといっしょに、フィオは母親の手を取って扉へ走る。出入口には人が殺到しているが、とりあえず紛れてしまえばドラゴンは手が出しづらくなる。
「落ち着いて、進んでください」
「ありがとうございますっ。ありがとうございます……!」
肩を叩いて励ますフィオに、母親は涙声で礼を言った。まだ少し混乱している女の子はジョットに任せて、フィオは他に逃げ遅れている人がいないか視線を走らせる。
と、列の後方で男の子が転んだ。親は気づかないのかはぐれたか、すぐ助け起こそうとする大人はいない。
「まずい……!」
フィオは甲板を蹴った。
動物は確実に仕留められる標的を知っている。群についていけない弱い者、怪我をした者、そして子どもだ。早く立ち上がらなければ、男の子は狙われる。
「すみませんっ、通してください! すみませんっ、男の子が倒れているんです!」
懸命に声を張りながら、フィオは避難しようとする列へ飛び込んだ。
ところが、割り込みだと思ったのか人々はフィオをにらみ、押しのけようとする。自身と我が子を守ろうとするあまり、瞳からは理性が消えていた。
「ちょっと押さないでよ! 危ないでしょ!?」
「どけ! 女! 俺たちが先だ!」
「違います! 男の子を助けたいだけです……!」
倒れた男の子は大人の視界に入らず、蹴られて立てずにいる。頭をかばい、うずくまって震える姿が、記憶の男の子と重なった。
その子の腕には無数のアザがあり、今にも折れそうな骨と皮の体で、必死に痛みと恐怖から耐える。
「ジョット……!」
甲板にうずくまる男の子が、たまたま同じ名前だったかはわからない。しかし男の子はフィオの声に反応し、顔を上げた。
フィオはすかさず手を伸ばす。追い払おうとする人々に抗いながら、悲鳴を上げる足で踏ん張り身を乗り出した。男の子も震える手を伸ばす。
「あ……!」
だが次の瞬間、男の子の体がガクンッと崩れた。こぼれそうなほど見開いた目でフィオを見つめたまま、床を引きずられていく。
「きゃああああっ!?」
女性のかん高い悲鳴が場をつんざき、列は真っ二つに分かれた。強張る人々の視線の先には男の子と、その足に絡みつく白い触手の竜鰭科がいる。
頭部と思われるカサの両脇に、フリルのような太いひれが二本生えていた。カサの中からは無数の触手が伸び、先端が淡く桃色に発光している。
もはや目どころか、口も耳もどこにあるかわからない異形のドラゴンを目の当たりにして、人々の恐怖は沸点を超えた。
足を捕まれた男の子を置き去りにして、船尾へ散りぢりに逃げていく。フィオは突き飛ばされ、尻を打った。ハッと目を向けると、男の子が宙にさらわれている。
「やあああっ! たすけてえええ!」
「助けるっ。絶対に助ける……!」
夢中でドレスの裾をわし掴みにし、フィオはひと思いに引き裂く。大きくたくし上げて、破った布をきつく結んだ。
「シャルル! 上がるよ!」
「いやあああっ! ママーッ!」
マントも力任せにむしり取りながら、下りてきたシャルルに飛び乗った時だった。船尾のほうから少女の悲鳴が響く。バラバラに逃げ出したせいで、ドラゴンが狙いやすくなったに違いない。
フィオは舌を打ち、強く甲板を蹴って夜空にくり出す。
「思ったより暗い」
照明はすべて船を照らすために向けられていて、一歩出るとそこは月明かりも乏しい暗闇の海だった。
「フィオさん! 男の子を任せてもいいか!? 僕は女の子を追いかける!」
「はい! 頼みます!」
短いやり取りを交わしたランティスは、すぐにコレリックを船尾に向けて駆けていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます