107 君色のアイシャドウ②
「ずるいよ。そんなこと言って、家族のキスしかしてくれないくせに」
「フィオ」
「ごめん」
詰め寄る素振りを察し、フィオはあとずさった。
「今夜はジョットくんと約束があるの。私行かないと」
不思議なことに、ジョットの名前を口にすると彼の気配を感じたような気がした。
そちらへ振り向くと、ライトグレーのスーツを着た小柄な男性がいる。まるで周囲に遠慮するように、壁際に佇んでいた。
いつからそこにいたのだろうか。
「そうだな。わかった。じゃあ、また」
ぎこちなく笑って、キースは人混みに紛れていった。黒いリボンで結ばれた長い襟足が、尾を引く。
フィオもすぐジョットの元へ向かったが、声をかけるのは少しためらわれた。向けられた背中が、フィオを拒んでいるように映る。
「……ジョットくん。ごめん。待たせたね」
「いいんですよ。俺もトイレ行ってて、待たせましたから」
案外素直な返事で、声色もいつもと変わらなかった。しかし振り返ったジョットの笑顔を見て、フィオは息を詰める。
「でもよかったんですか? キースのこと。俺は別に構いませんよ」
それは静か過ぎる笑みだった。口角だけは無理やり弧を描き、頬は強張っている。船内の照明は十分なはずなのに、ジョットの肌は青白く見えて、瞳は光を通していなかった。
まさか会話を聞かれていた?
浮かんできた疑念をフィオはすぐに振り払う。今考えるべきことは、それではない。疲れているフィオのために、服や装身具を選んで連れ出してくれた、ジョットの思いだ。
「ジョットくん、私の目を見て」
身をかがめて、ジョットと視線を合わせる。フィオは自分の目元を指さした。
「化粧師さんは最初、青色にしようとしたんだけど、私が黄色に変えてもらったの。なんで黄色にしたかわかる?」
ジョットは首を横に振る。フィオはにかりと笑った。
「あなたの目の色だから。青じゃないって思った時、ジョットくんの顔が浮かんできた。今夜の私の相手は、あなただけ。おもてなししてくれるんでしょ? ジョットくん」
手の甲を向けて、フィオは手を差し伸べた。化粧クリームよりもずっと透き通って、複雑な光彩を宿した金の目がまるく見開かれる。
なにかを押し込めるように唇を噛んだのは一瞬で、ジョットの頬はみるみるバラ色にほころんだ。
「はい! 任せてください!」
フィオの手をすくい取って、ジョットは隣に引き寄せる。互いにちらりと微笑み合ってから、舞踏会の会場へと向かった。
「ねえ、ジョットくん。あのさあ、ドレスとか選んでくれたのはうれしいんだけどね」
吹き抜け広間を歩き出してすぐ、自分たちに集まる視線を感じて、フィオは歯切れ悪く切り出す。
ここは買い物や食事を楽しむ客もやって来る。正装に身を包んだ二人組は否応にも目立った。その注目に拍車をかけているのが、ドレスの色な気がしてならない。
「でも白ってさ、その、結婚式みたいで変じゃない?」
よりによって、ジョットが選んだドレスは白だった。オフショルダーの胸元には花やつるを模したレースがあしらわれ、背中には床までつくレースマントもついている。
それ以外は飾り気がなく、大人向けのデザインだとは思うがいかんせん、色だけは納得いかなかった。
「俺もフィオさんの目に合う色で考えたんです。最初は青でそろえようと思いましたけど、そうじゃなくて。フィオさんの目を引き立たせる色じゃなきゃって思ったんです」
だって、とジョットはひょこりと前に出て、弾むような笑顔を見せる。
「俺、フィオさんの春空みたいな目が大好きですから! そしたら白しかなかったんです!」
繋いだ手がひくりと震えた。そこだけ急に熱くなった気がして、汗がにじむ。
「あっ、フィオさん。きっとあそこですよ! もうはじまってる。行きましょう!」
舞台で演奏する楽団に気づいて、ジョットは手をぎゅうと握り込んできた。その強さに驚いただけだ。この心臓が跳ねたのは。
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