106 君色のアイシャドウ①

 ちょっぴりドレスを押し上げる腹をつままれて、フィオはキュッとへこませた。すかさず不躾な手を叩き落とそうとしたが、ジンに腕ごと抱き込まれて阻まれる。


「関係大ありだ。ペナ食らった上に、デブライダーなんかに負けた屈辱まで受けて堪るかよ」


 青い石が揺れる耳に、ジンの吐息がかすめていく。


「この俺のライバルなら、不様な姿さらすんじゃねえ。誰もがびへつらう羨望の的でいろ」


 思いがけない言葉に、フィオはきょとんと目をまるめた。まるでジンがフィオを認めているように聞こえる。

 そんなわけはない。他人ひとの夢を笑い、レースを遊びと考え、お金と女性の心を手に入れることしか頭にない男のはずだ。

 フィオはふんっと笑い飛ばす。


「そのほうが、私を負かした時自分の株が上がるからでしょ」

「よくわかってるじゃねえか。ブタは太らせたほうがうまい。俺が食ってやるまで、誰にも食われんなよ」


 相変わらず失礼な男だが、口振りにはもうバカにする響きはなかった。屈辱と言って負けを認めた上でなお、不遜ふそんな態度はいっそ清々しくもある。

 そんなジンだからこそ、フィオはまた叩きのめしてやろうと思うだろう。これほど戦いがいのある相手はいない。

 もしかしたらそれがジンの目的かもしれなかった。


「でもその前に味見でもさせてくれるのか? 俺のために着飾ったんだろ」

「おいコラ。ちょっと見直しかけた私の気持ちを返せ。あなただってこれからどっかのイベントに出るんでしょ!?」

「あ? この格好は女を釣るためのエサだよ、エサ。どうせあぶれてんだろ、子ブタちゃん。仕方ねえから俺が、お前には一生縁のない極上の夢を見せてやるよ」

「冗談! 悪夢の間違いでしょ。私にはちゃんとお相手がいるの。あなたなんかといっしょにしないで、このエロザコ野郎!」


 フィオがいくらののしっても、ジンは「調教のしがいがある」と言ってますます調子に乗る。

 ならば実力行使だ。フィオは拘束してくる腕に爪を立て、踏んづけてやろうと足を上げる。ところが患部に痛みが走った。刺すように鋭い激痛に、力が抜けて座り込みそうになる。


「フィオ!」


 その時、サッと手を差し伸べられ、ジンから少し離れた体を力強く引き寄せられる。気づけば心地いいぬくもりに包み込まれていた。


「キース……」


 目を起こすと、フィオを助けてくれたのはキースだった。喜びが弾けたのも束の間、彼が黒い燕尾えんび服を着ていることに気づいて、気持ちが急速にしぼむ。

 私のためにおしゃれしてくれたことは、一度もなかった。


「俺の義妹になにしてる、ジン・ゴールドラッシュ」

「ちっ。うるせえやつの登場かよ。お前の兄貴面には心底えるわ。どうしようもねえ獣をお前も飼ってるくせに」

「黙れ」


 キースの低い声は、フィオの肩もびくりと震わせた。おそるおそる見上げてみると、彼の目には黒い影が差し、赤紫の赤みがいつより増して見える。フィオは思わず、キースを押さえるように身を寄せた。

 それを見てジンは、鼻を鳴らして引き下がる。金色のみつあみが見えなくなるまで、キースは抱き締める力をゆるめなかった。


「キース、もういいから。その、離して」

「あ、ああ。悪い。あいつになにもされなかったか?」

「うん、まあ。抱きつかれたくらいで、特には」


 なんだかキースの目を見ることができない。化粧室でヴィオラの言っていた言葉が頭を過る。友人でも義妹でもいられないなら、彼の前でどんな顔をすればいい?

 ふと、キースの手が肩に垂れた髪をひと房すくい上げた。それだけでフィオは、普段とは違う姿であることを思い出し、頬が熱くなる。


「きれいだな。似合ってる」


 キースが微笑んだ瞬間、フィオはうれしいと思った自分が腹立たしくなった。それと同時にキースのことも憎らしくなる。

 笑顔、素敵。ムカつく。それでも好き。

 ぐちゃぐちゃになる胸を押さえて、フィオはうつむく。

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