101 お誘い①

「はー、まずったな。あいつらが余計なことしてくれたせいで、フィオさんの母性が刺激されちまったじゃねえか。ママみあふれるフィオさんもどちゃくそ尊いけど、弟と思われるのは最悪だ。どうにかしないと」


 ひとりぼやいていると、昇降機が六階で停まった。扉が開いて女性が乗ってくる。


「あ」


 図らずもジョットと女性の声が重なった。赤茶色の髪に栗色の目を持つ彼女とは、エルドラドレースのナビ席でも会っている。


「えっと。ヴィオラさん、ですよね。ヴィオラさんもここに泊まってたんですね」

「エルドラドレースに出場してれば、だいたい今頃みんな泊まるわよ」


 ヴィオラは目的階のボタンには触れず、壁際に立つ。どうやら彼女の行き先も吹き抜け広間らしい。ジョットはさりげなく壁伝いに距離を取った。

 彼女の相棒、小竜科ぺディ・キャットのデイジーが、珍しげに見てくる。

 フィオの幼なじみで同じナビのヴィオラだが、会話の糸口が掴めず沈黙がつづく。


「あなた、七階に泊まってるということ?」


 出し抜けに問いかけられ、ジョットはびくりと肩が跳ねた。


「い、いえ。八階です」

「ふうん。……え、八階って特等よね?」

「なんか、エルドラドで優勝したお祝いにって、支配人が」


 あっそう、とヴィオラが返して会話が途切れそうになる。静か過ぎるのも気まずくて、ジョットは急いで話題を探した。


「あの、ヴィオラさんってなんで、キースのナビを引き受けたんですか」

「なによ、急に」


 うっ。そう言われると雑な質問だったかもしれない。


「すみません。ロードスターになるためって決まってますよね」


 そこでヴィオラははじめて、扉からジョットに目を移した。


「違うわ。私もやってみたかったからよ」

「ナビをですか?」

「それだけじゃない。世界中を飛び回って、いろんなものを見たり聞いたり触れたりしたかったの。私、子どもの頃は病弱でよく熱を出してたから、両親がなかなか外に出してくれなくてね」


 肩のデイジーをなでながら、伏した瞳にまつ毛の影が落ちる。


「ずっと、うらやましかったのよ。フィオが……」


 小さな世界しか知らなかったジョットに、広大な夕空と美しい一番星を見せてくれたように、ヴィオラにとってもフィオは憧れの存在だったのか。

 そう思うと、ジョットはなんだか自分のことのように誇らしく、うれしかった。


「夢が叶ってよかったですね」


 過去から覚めるように、ヴィオラの目が瞬いた。薄紅を差した唇は美しく弧を描き、眼差しは自信と魅力を湛えジョットを射抜く。


「まだまだよ。今まで我慢してきた分、欲しいものは全部手に入れるわ。もちろんロードスターの称号も、あなたたちには渡さないわよ」

「望むところです。でもロードスターになるのはフィオさんですから。俺が支えてみせる」

「頼もしいけれど、フィオにドラゴンレースのいろはを教えたのはキースよ。元々、ナビに収まるなんてもったいない人だった。それを忘れないことね」


 しばしジョットの信頼と情熱はフィオ本人にさえ呆れられるが、ヴィオラもまたキースに対して強い思いを抱いていると感じた。欲望を隠しもしない振る舞いには、ジョットを圧す勢いさえある。

 肌が戦慄わななき、胸をひりつかせる。その高揚が最高に楽しい。周りは海だというのに、今すぐ練習したくて堪らない。

 その時、昇降機が一階に到着した。


「そうだわ。今夜こんな催し物があるんだけど、あなたたちもどう? 私とキースは出るつもりよ」


 吹き抜け広間に出たところで、ヴィオラはハンドバッグから一枚の紙を取り出した。受け取ってみると“月夜の舞踏会”と書いてある。

 甲板側の舞台で生演奏がおこなわれ、乗客たちは踊り手として参加できるらしい。チラシの最後に“貸し衣装あり”の文字を見つけて、ジョットはひらめいた。


「これだ!」


 急いで八階に戻ったジョットは、自室の間仕切り扉からフィオの部屋に入った。とたん、ぶわりと風が吹きつけてきて目をつむる。

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