100 海上宿船バレイアファミリア③

「シャルル! おいで。こっちだよ!」


 隣室を覗き込んでいたシャルルは、フィオに呼ばれて一目散に飛んできた。大きな甘えん坊を受けとめながら、フィオはベッドに倒れてくすくす笑う。

 特等個室、そしてひとつ下の一等個室はドラゴン同伴可だという。いつもは竜舎にしまい込まれて、夜をひとりで過ごしていたシャルルは、ここぞとばかりに体をすりつけ、しっぽを振り回した。


「ドラゴンといっしょに泊まれるなんて最高! あ、ランティスさんはいつもこんな宿に泊まってますよね」

「まさか。竜騎士たる者、板の上でも地面でも眠れる訓練を受けてるよ。でも、よかったのかな。僕のこと恋人だって誤解を解かなくて」

「いいんですよ! だってそうでもしなきゃ、ランティスさんは別の階になっちゃいますし。特等個室は全部、内鍵もついてますから問題ありません」

「問題大ありですよ! なんでこの人が恋人に見えるんですか!? しかも俺を弟呼ばわりって、ナビだって新聞載ってただろうがあの節穴支配人めえええ!」


 床をぶち抜く剣幕でジョットはかばんを叩きつける。音にびっくりしてバルコニーから離れるコレリックを見て、ランティスは快活に笑った。


「本当に、きみが子どもだからだと侮ったのなら支配人もまだまだだね。それで、部屋はあと真ん中と昇降機側の端があるけど、どっちを使うんだい? ウォーレスくん」

「真ん中に決まってるでしょうがっ!」

「さすがだ。そのほうがなにかあった時、僕とフィオさんがすぐ駆けつけられるからね」


 いや、ジョットは防犯なんて考えていない。恋人とまで言われたランティスとフィオを、引き離したいだけだ。

 ランティスは「荷物を下ろしてくるよ」と言って、部屋を出ていく。廊下から邪魔者の足音が聞こえなくなるなり、ジョットはくりんっとフィオへ振り向いた。


「ねえねえっ、フィオさん。一階の広間探検しましょ! おもしろそうなお店とか舞台がたくさんありましたよ!」


 目をキラキラさせて、懐っこく寄ってくる。そういうところが弟っぽいんだよね、と思うだけに留め、フィオは苦笑を返した。


「ごめんね。移動でちょっと疲れちゃったんだ。私に構わないで行ってきて」

「そうですか……。なにか欲しいものとかあります?」

「だいじょうぶ。ランティスさんに声かけてね。たぶんいっしょに行ってくれるから。はぐれちゃダメだよ」

「えー」


 ジョットくん、と呼び咎めると、渋々ながらもうなずいた。不満顔のまま、間仕切り扉から自室に移るジョットを笑みで見送る。

 仮締めボルトのはまる音がカチリと落ちて、フィオは表情を消した。


「まいったなあ」


 太ももからサイドバッグを外して、足のつけ根に触る。じんじんとした鈍痛が、エルドラドレースからずっと引かない。シャルルに跨がる時や階段では、それが無視できない痛みに変わり、動きを止めることもある。

 前は休めば治まっていた。でももうその誤魔化しも効かない。パンツの裾から手を差し入れ患部に触ってみると、そこだけ皮ふの感触が鈍いような気がした。

 こうやって少しずつ死んでいくのかな。

 悲しげな鳴き声がぽつんと転がる。ベッドにあごを乗せたシャルルが、上目遣いで顔色をうかがっていた。


「だいじょうぶ。まだ、だいじょうぶだから。ブラッシングでもしようか」


 放り出したままのトランクに向かって立ち上がる。その瞬間はいつも、息を詰める。

 こんな、なんでもない動作が、痛みを覚悟しなければできなくなったのはいつからだろう。

 神様。私がなにをしたって言うの?



 * * *



 自室にかばんを置いたジョットは、慎重に玄関扉を開けて廊下を見回した。誰もいないことを確認し、またそっと扉を閉める。

 休んでいるフィオの邪魔をしないように、そしてランティスには気取られないように、こそこそと昇降機へ乗り込んだ。

 フィオには悪いが、ランティスと船内を回るくらいなら昼寝していたほうがましだ。

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