99 海上宿船バレイアファミリア②

 エルドラドレース優勝賞金の半分、二〇〇万ペトがフィオの手元に入ったが、六十万はヒュゼッペの義父母に送金した。足の治療費とファース村の滞在費を立て替えてもらっていた分だ。

 フィオの所持金は一四〇万と少し。日銭を稼いでいた頃よりは余裕があるが、ぜいたくできる貯蓄でもない。


「ジョットくん。あんな男の人たちに追いかけられて、あなたを鍵のない部屋に泊められるわけがないでしょ。朝起きてあなたがいなくなっていたら、私はコリンズ夫妻に顔向けできないよ」


 突き出たジョットの唇は、引っ込む気配がない。フィオは身をかがめて顔を覗き込む。


「今は私があなたの保護者。あなたを守る義務が私にはあるの」


 弾かれるようにジョットは顔を上げた。フィオを映した金の目はくしゃりと歪んで、傷ついたような色を浮かべる。

 引き結ばれていた唇がかすかに動いた時、黒いスーツ姿の男がひとり、足音もなく現れた。


「失礼。そちらのレディは、フィオ・ベネット様ではありませんか?」


 胸に手をあて、やわらかく会釈した男性を、フィオは怪訝に見やる。


「そうですけど」

「おおっ。やはり。そしてあなた様は竜騎士団の」

「ランティス・ヒルトップです」


 男性は恋する乙女の吐息をつき、立ちくらみでもしたかのように身をくねらせて、深く項垂れた。


「すぐに気づかず、お待たせしてしまい申し訳ございません。ただちにお部屋をご用意いたしますので、どうぞ中でお待ちください」


 そう言って男性はカウンターの跳ね上げ式天板を上げて、奥の扉を手で示す。フィオはジョットとランティスと顔を見合わせながらも、うながされるまま中に入った。


「申し遅れました。わたくし、当ホテルの支配人でございます。さあ、お飲みものはいかがいたしましょうか。やはり祝いのゴールデンマスカット酒で?」


 応接室らしき部屋のソファに座らされるなり、テーブルには三組のコースターとグラスが用意される。尋ねておきながら、支配人はもう手にしたボトルを開けそうな勢いで、フィオは慌てた。


「あ、いえ、お酒はいらないです。それよりさっき、部屋を用意すると言ってたと思うんですけど」

「お待たせしておりまして、大変申し訳ございません」

「え。や、謝らなくていいんですけど。あの、私たちまだどの部屋にするか伝えてませんよ?」


 にこにこしていた支配人の顔が、きょとんと固まった。

 なにか変なこと言ったかしら。フィオは左右に座る連れを見たが、ジョットもランティスも首をひねっている。

 そこへ、えんじ色の布に包まれたトレーを持ち、従業員が部屋に入ってきた。支配人は再び頬をゆるめ、ひかえめに笑う。


「ご冗談を、ベネット様。ロードスター杯エルドラドレースを制した優勝者様にご案内するお部屋は、あらかじめ決まっております」


 従業員から受け取ったトレーの布を、支配人は神経質な手で取り払う。そして物音ひとつ立てずテーブルに置き、フィオたちのほうへゆっくりと差し出した。


「当ホテル最上階、特等個室をお使いくださいませ。料金はご心配なく。これは当ホテルからのささやかなお祝いです。もちろん恋人様と弟様もごいっしょに」


 輝きを放つ上等な布に鎮座するのは、ドルベガ産の黄金で作られたまばゆいばかりの鍵だった。


「うそ! これが船の中なの!? ひろーい!」


 浮遊石式昇降機で八階まで上がったフィオは、白に金の装飾が施された扉を開けるなり、思わずはしゃいだ。

 寝そべっても余裕のある玄関、それぞれ独立したシャワー室とトイレ、リビングの中央にはガラス製のローテーブルがあり、これでもかとクッションを乗せたソファが囲んでいる。

 そして脇には木目調のキッチン台まで完備され、氷結石ひょうけつせきを使った氷室ひむろには水から果実酒までが用意されていた。

 一段上がった板の間にはダブルベッド。そこからフラットにつづくバルコニーは、青い海が一望できる。明るい白と木をふんだんに使った特等個室で、フィオが一番気に入ったのはこのバルコニーだった。

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