92 祝杯のあとで
「うへえ……。頭いたい」
「俺も、うっぷ。気持ち悪い。食い過ぎました……」
レースから一夜明け、正午もとっくに過ぎた頃。旅仕度を整えたフィオとジョットは、酒場の大将と別れを告げたものの、店先から動けずにいた。
原因は昨夜の祝杯と大量のごちそうだ。
店に詰めかけてきた大勢の記者やファンに囲まれ、武勇伝と称した身の上話を延々と語った。気分がよくなればグラスもフォークも進む。小言を挟む保護者たちはおらず、聞こえてくるのは称賛と話をせがむ声ばかり。気がつけばフィオもジョットも、はちきれそうなほど腹がふくれていた。
そうしてようやく解放されたのが、朝五時である。
「フィオさん、お酒もそうですけど。あの溶岩スープ何杯飲んだんです?」
「んー。五杯かな」
「嘘でしょ? あれ真っ赤に煮えたぎってましたよ。湯気だけで目がヒリヒリしましたよ?」
「うん。辛くて味なんもわからないんだけどさ。あのゲンコツみたいな肉だんごの中に、赤いドロッとしたアレが入ってて」
「アレってなんです。赤いってまさか」
「そう、赤い……いちごジャム」
「え。いちご?」
「それを口に入れた瞬間、地獄の釜が湧水のようにさわやかになって、いちごの甘い香りが吹き抜けるの。あれはやばい。ハマる。悪魔的」
「ありゃりゃ。それでまたぽっちゃり体型に戻ってるんですか。それはそれで愛嬌ありますけどね」
パシャパシャ。
ゆっくりと焦点が結ばれていくと、毎度おなじみドラゴニア新聞記者の制服がくっきりと映った。リボンつきキャスケットが目印、レ・ミミがぺこりとお辞儀する。
「おそようさんです、フィオさん! 昨日はしびれるようなご活躍でしたね!」
「ミミちゃん。話ならさんざんしたでしょ。なんの用?」
「フフフッ。今朝の新聞を持ってきたんですよ。ほら!」
不敵な笑みを浮かべ、ミミは脇に抱えていた新聞を勢いよく広げる。
一面にはライフルを構えるフィオと、ゴール直後抱き合うフィオとジョット、シャルルの転写絵が載っている。その上には“フィオ・ベネット完全復活! 魅せつけた異次元の弾丸!”と大きく見出しがついていた。
「うわあっ、うわあっ。ください! 言い値で買います!」
「五十万」
「買った! 昨日の賞金があります!」
「こら、ミミ。少年も賞金を無駄遣いしないの」
フィオがにらむと、ミミはちょこっと舌を出した。
「冗談ですよう。これはおふたりに差し上げます。ほんのささやかなお礼です」
「お礼?」
首をかしげるフィオにぴたりと身を寄せて、ミミは渡したばかりの新聞を指さす。記事の文末には“報告=レ・ミミ”と記されていた。
「ヒュゼッペでフィオさんとシャルルちゃんを撮らせてもらったお陰で、一面記事の担当に大抜擢されたんです!」
「それはおめでとう。撮影許可した覚えはないけどね」
スンスンと鼻を寄せてきたシャルルに、「あなただよ」と転写絵を見せた。ドラゴンに新聞をどこまで理解できるかわからないが、ぺろりとフィオの頬を舐めた顔は笑っているように見える。
心で感じるうれしい気持ちは、フィオとおそろいだった。
「つきましては、今後とも仲よくしてくださいませー!」
「そっちが本音でしょ。まあお手やわらかに」
調子のいいミミに軽く肩をすくめながら、フィオは紙面をめくった。二面にはキース、三面に三位と四位がつづいて、四面目に目当ての人物が出てくる。
小さな絵だったが、ドラゴンレース界の色男ジン・ゴールドラッシュは、百年の恋も冷めそうな仏頂面を下げていた。
“次はぜってえブッ潰す”
添えられた言葉を見て、フィオはくすりと笑う。
「いい顔になったじゃん。そっちのほうがかっこいいよ」
「ミミさん。この新聞あと二、三部ないですか?」
ジョットがまた妙な交渉をはじめる。フィオは新聞から顔を起こした。
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