87 レース専門用語講座③

 叩いた拍子に粉が舞ったか、マティ・ヴェヒターは盛大なくしゃみをかます。その飛沫はすべてジンにかかった。


「うわ。汚ねえ」

「お大事に」


 思わずつぶやいたジョットと、いけしゃあしゃあと労るフィオをにらみながら、ジンはネクタイで顔を拭う。汚れたそれを外したかと思うと、フィオの首に引っかけて力任せに引き寄せた。

 唇が触れそうな近さに、ジョットはえんぴつを投げ出して立ち上がる。


「俺の飛行技術テクにぐずぐずに酔わせてやるから覚悟しろ。最後には泣いて悦んで負けを認めるぜ」

「あなたこそ甘くみないほうがいい。新しい風は恐れ知らずだから」


 怯むどころか挑んでいくフィオを、ジョットは慌ててネクタイの囲いから取り返した。


「フィオさんダメですよ! ばっちいのが感染うつっちゃいます!」

「俺に熱を上げる女はごまんといるぜ、ガキ」

「あ? フィオさんは金積まれたっててめえなんか相手にしねえよ。沸いたその頭を屈辱の泥に沈めてやるから待ってろ」

「少年はそういう言葉どこで覚えてくるのかな」


 宿の酔った客たちです、と言うとフィオは深いため息をこぼした。


「はんっ。せいぜい俺の引き立て役に使い捨ててやるよ。トンカチ、もう一周だ。いくぞ、ギョロメ」


 ナビに向かって言うや否や、ジンは風を起こして飛び立っていった。翼竜科の瞬発力には、目を見張るものがある。

 しかしジョットは別のことに引っかかりを覚えて、首をひねった。


「ギョロメって、あのマティ・ヴェヒターの名前ですか?」

「うん。エルドラド人って名前のつけ方が独特なんだよね。トンカチー! あなたのヌー・ムーの名前なんだっけ?」

「マシュマロ」


 ほらね、とフィオは笑う。独特というか、身の回りにあるものから、てきとうにつけたような名前だ。

 それにしてもジンはあれだけ対抗心を向けてきたが、ナビのトンカチは無頓着のようだ。受け答えも普通にするし、距離を置くわけでもない。

 いや、意識はすでに手元の記憶石に集中しているようだ。あぐらをかいたひざに石板を乗せて、浮き上がる立体地図をしきりに動かしている。


「あの手の動き……」


 ジョットはそろりと近づいて、トンカチの手を注視した。地図上を縦横無尽に飛び回るジンの座標点に合わせ、立体地図の向きを細かく調整している。

 こんな使い方があったのかと、ジョットは静かに驚いた。地図を回すことで常にライダーと同じ目線に立ち、的確な指示を瞬時に出せるようにしている。

 トンカチの指使いを目に焼きつけようと、ジョットは息も忘れて食い入る。

 フィオが小さく笑って、シャルルと飛び立ったことにも気づかなかった。



 * * *



『ドラゴンレースファンの皆さま、お待たせしました! 一ヶ月の休養を挟みまして、ロードスター杯エルドラドレースついに開幕です! さあ、一攫千金いっかくせんきんの財宝が眠るこの宝山で、幸運を手にするのは誰なのか!? 泣いても笑っても一発勝負! 早い者勝ちの超光速バトルは瞬き厳禁です! 実況は引きつづき、わたくしロ・パクパクがお送りします。そして解説には前回同様、スカイ・クロウさんにお越し頂いております』

『チャリッス! チャリッス! ウェーイッ!』

『スカイさんのゆるくて自由な解説が新しいと、評判だそうですよ』

『マジ感謝っスね。俺も解説とかわかんなくてテキトーにやってたんスけど、ノリでいけました。ノリ大事っス。ドルベガに来たら激辛溶岩スープおすすめなんで、みなさん食ってください。俺の地元ソウルフード! イエアッ!』

『仰る通り、スカイさんはドルベガ出身なんですよね。そんなスカイさんが注目される選手は、どなたですか?』

『あ。パクさん、ジンって言わせたいんでしょ? まあ確かにこいつは強いですよ。過去二回ロードスター杯に出場して、二回とも最終レースまで行ってますからね。他のメジャー杯優勝回数は十一ですし。順調に成績を伸ばして、そろそろロードスターになるんじゃないスか?』

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