84 大人になれない⑤

 ホテル従業員や客の目もあり、フィオはなにも言わず飛び立った。


「少年。私は少年のこと嫌いじゃないよ。すごく気に入ってる。だからシャルルの角笛を渡したんだ」


 ドルベガの街並みを越えながら、フィオは近くにライダーがいないことを確かめて口を開いた。

 眼下の家々の屋根は、エルドラド様式でどれも平たい。屋上では洗たくひもや家庭菜園の緑が、風に揺れている。

 頂上の宮殿から離れれば離れるほど、街灯はまばらになり、夜道は侘しくなっていった。

 ふと風に、ヒュルヒュルと角笛の音が混じる。出所を辿ればジョットの手元だった。


「気に入ってる、ですか。昔は大好きって言ってくれたのに」

「い、今は年齢的にまずいの。わかるでしょ」


 しばし考えるような間が流れた。


「それってつまり、俺を異性として意識するようになったってことですか?」

「バカ! 異性じゃなくて大人ね。大人としての成長を認めてるってこと。でも法律的にはまだ子どもだから勘違いしないように」

「わかりません。あと二年でなにが変わるんです。二年後の俺が今のままでも、フィオさんは大人として認めるんですか」


 正直、私に聞かないで欲しい。十六歳以上を成人と認めたのは、どこかの時代のお偉いさんだ。

 しかしまた、すねてしまったジョットにそれは言えなかった。背中をぐりぐりされながら、フィオも角笛を取り出す。対の音色は不思議と寄り添い、重なって響き合った。


「今のままでも、認めると思う。少年は外国まで私を追いかけるくらい行動力あるし、時々ハッとさせられるような考えも持ってる。それにお義父とうさんも大将も、あなたの働きっぷりを褒めてた。コリンズ夫妻も私も、あなたを誇りに思うよ」

「ほ、本当ですか!?」


 ジョットが身を乗り出してくる。フィオは今一度自問した。するとシャルルが真っ先に意気よく鳴いて答える。


「うん。あなたに角笛渡したこと、後悔したことないもの。シャルルもそうだって」

「それはナビとしても、ですか?」


 にわかにジョットから緊張を感じて、フィオは振り返った。目が合ったとたん、少年は空気が抜けていくようにしぼみ、眉間にしわを刻む。


「……俺が頼りないから、キースのところに行ったんじゃないですか」


 フィオはハッと息を詰めた。


「違う。キースはただ昼間の落盤事故を聞いて心配しただけだし、私は――」


 また誤魔化そうとしている自分に気づき、言葉を飲み込んだ。仮にも手を組んでいる仲間に対し、心を隠すのは信頼に背く。

 大切な相棒ドラゴンの角笛を託した相手なら、なおさらだ。


「私は、確かに弱ってた。暗闇でちょっと、嫌なこと思い出しちゃって……」

「嫌なことですか……?」

「死んだ両親のこととかね。時々思い出して、いろいろ考えちゃうんだ」


 へらりと眉を下げて、フィオは情けなく笑った。


「ごめんね、不安にさせて。キースと少し話したかったの。それだけだよ」

「俺がナビとしてもっと頼りになれば、キースのように話してくれますか?」

「え」

「だって今のナビは俺なんだ。相談は俺だけにしてください。キースなんかより俺のほうが、今のフィオさんを知ってる! 俺ならいつでも話を聞いてあげられる!」


 それはなんとも純粋なわがままで、無垢な傲慢ごうまんだった。フィオはあいまいな笑みを浮かべながら、戸惑いの奥に喜びを見つける。

 禁忌と知りながら、まばゆい光に手を伸ばしたくなる。


「もっと俺を頼ってください。あなたに頼られたいんです」


 けれどフィオは、光を求めたその手で勢いよくふたを閉めた。


「ひよっこナビにそう言われてもねえ」

「だったらあの言葉教えてくださいよ。フィオさんが坑道でザミルを誘導したやつです」

「専門用語かあ」


 ドラゴンレースには、ナビがすばやく指示を出すための特有言語がある。どうせすぐ別れると思って、ヒュゼッペレースでは教えなかった。

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