83 大人になれない④

 あの時は言葉にできなかった孤独や寂しさを、キースは理解してくれていたのだと知り、涙がにじむ。


「そんなやさしさなんか、いらない」


 言葉とは裏腹に、フィオはキースの服を握り締めた。彼が与えてくれるぬくもりは誰よりも心地よくて、不安を覆い隠してくれる。

 昔からずっと好きだった。いつなんて思い出せないくらいに、いつでも彼を目で追いかけてきた。


「ねえキース、戻ってきて。私といっしょに飛んでよ」

「フィオ……。それはできない。お前のためだ」

「本当に? 本当に私のためだけなの?」


 再会してはじめてキースの目が揺らいだ。離れようとする気配に、フィオは目をぎゅっと閉じて思いきり胸板へ飛び込む。


「キース、好き。好きだよ。私を連れてって」

「……こんなひどい仕打ちをするやつが、か?」

「本当にひどい人は、その自覚もないよ。ねえ、ちゃんと私を見て考えてよ。私たちに血の繋がりはないんだよ?」

「それが問題なんだろ、ばか」


 つぶやかれた言葉の意味がわからなくて目を起こす。横顔を向けたキースのうなじから、サラリと青い髪が流れた。それをひと房すくって指に絡めただけで、心の隙間風がやんでいく。


「ねえ。キースは私のこと、好き?」

「……好きだ」

「じゃあ、キスして」


 フィオはのどをさらしてキースを見つめながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。腰に回った腕の感触に胸を高鳴らし、引き寄せられるままに身をゆだねる。

 やがて羽のようにやさしく額に触れられた。それは家族のキスだ。フィオはキッと目を開き、キースの肩を掴む。


「違う! そこじゃなくて――」


 その時ふと、なにかがフィオの琴線に触れた。たとえるなら髪を一本つまんで、ツンと引っ張られるような感触だった。

 最初はシャルルが呼んでいるのかと思ったが、気配を探ると相棒は満腹で眠っている。


「フィオ? どうした」


 眉をひそめて、キースがフィオに手を伸ばす。それよりも早く誰かの手が、フィオを強引に振り向かせた。


「どうして勝手にいなくなるんですか!」

「少年!? なんでここにっ」


 ジョットだった。簡素な夜着のまま、いつもはヘアピンで留めている髪を乱して、肩で息をしている。

 まさかふもと近くの酒場から、てっぺんの宮殿まで走ってきたというのか。あり得ない。書き置きもしていないのに、この短時間でフィオを追ってくるなんて不可能だ。


「おやすみって言ったでしょ!? なんともないって言ったあなたの言葉を信じた! なのにどうしていなくなるんですか!? また俺を置いていこうとするんです!?」


 ジョットはそこで激しく咳き込んだ。崩れ折れる細い体を、フィオはとっさに支える。しがみつきながら、ジョットはフィオの胸元に顔を埋めた。


「置いて、いかないでっ。それとも俺のこと、嫌いですか……」


 実の両親に追いかけられていた、アザだらけの男の子の姿が脳裏で瞬く。抱き締めてあげなければいけない。強い衝動に駆られる。

 けれどふと、疑念が過る。虐待ぎゃくたいを受けていた男の子を放っておけなかったのは、父に置いていかれた自分と重ね合わせていたからだ。

 それは結局、ジョットを介して自分を慰めたいだけなのではないだろうか。

 迷う手を握り込んで、身を離した。フィオはただ静かな微笑みをジョットに向ける。


「キース、私帰るね。まあ、あなたはそのほうがホッとするでしょうけど」

「お前が無事だった、って意味でな」


 あくまで義兄あにを貫く姿とやさしさがおかしくて、フィオは小さく笑う。「次はレースで」と言葉を交わして別れた。

 心でシャルルを呼びながら扉へ向かう。片腕はジョットにしっかり絡め取られていた。けして離れないようにと力を込める様は、怯えているようにも映る。


「起こしてごめんね。戻ったらゆっくり休もうね」


 大あくびをこぼしながら現れたシャルルの首をなで、背中に上がる。後ろに乗り込んでくるジョットは、いつもより余裕がない動作だった。すぐにもフィオの腰に掴まって、顔を背中に押しつけてくる。

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