82 大人になれない③
これはキースの声だ。どうやらトランクに入った
『いないのか? 俺だぞ』
「聞こえてますよ。オレダさんなんて存じませんけど」
トランクケースの中で点滅していたイヤリング型伝心石を取って、耳にあてる。石の向こうで義兄はふっと笑った。
『なんだ、元気そうだな。じゃあちょっと外に出てこないか?』
キースに呼び出されたのは、ドルベガのてっぺんに君臨する黄金宮殿カジノ。そこに併設されたホテルの玄関広間にあるカフェバーだ。シャルルを
「ヴィオラにはずいぶんいい思いさせてあげるのね」
「泊まってるわけじゃない。ここは前に、お前が入ってみたいって言ってただろ」
少しくらい動揺すればいいのに、いつもの涼しい顔で返されてフィオはむすりと腰かける。
減量中だが、一杯くらいいいだろう。そう思ったが、注文する前にバーテンダーがカップを差し出してきた。
湯気に乗って深く甘い香りが届き、ほんのりスッとしたさわやかさが尾を引く。
「リンデンとカモミールのブレンドティーです」
バーテンダーは会釈とともに下がった。
就寝前のお茶として子どもからお年寄りまで好まれる飲みものをフィオに出しておいて、隣の男はコーヒーをすすっている。しかも、くだものと木の香りを漂わせているそれはブランデー入りだ。
「ここでも子ども扱い……」
「なにプリプリしてるんだ」
別に、と返した時あごに触れられて胸が跳ねる。キースはフィオの顔を引き寄せ、親指でそっと輪郭をなぞった。
「またやせた。無理な減量はしてないだろうな」
「レースの間隔は一ヶ月しかないんだから、
「ダメだ。筋肉まで落ちたら飛行姿勢を保てない。もっと肉を食べろ」
フィオはキースの手をはたき落とした。
「指図しないでよ。もうナビじゃないくせに」
「ナビじゃなくても、俺には心配する権利がある。家族だからな」
真剣に注がれる赤紫の眼差しがとたんにつまらなくなって、フィオは顔を背けた。キースから誘われた時、私に会いたがっているんじゃないかと少しでも浮かれた自分がバカらしい。
「なるほどね。落盤事故のこと聞いたんだ。じゃあもう生存確認できたから用ないでしょ」
なんでかわいくないことばかり言っちゃうんだろう。
自分の無愛想っぷりに呆れながら席を立つ。
本当はもっとやさしくおだやかに、女性らしく
きっと幼なじみのヴィオラならできるのだろう。義兄弟という
「待て、フィオ」
手首を掴まれて、ドキリと高鳴った胸に苛立った。
「離してよ。お金なら払うから」
「そうじゃない。いいから座れ」
「やだ。キースと話すことなんかない。もう敵なんでしょ」
「なあ頼む。こっち向いて、俺を見てくれ」
ずるい。頼まれたら強く出られないことを、キースは知っている。
ためらった一瞬の隙も見抜かれていて、フィオはあっけなく振り向かされた。頬を包む大きな手が嫌いじゃないことも、筒抜けなのだろう。
指先で前髪をすかれると、やわらかく苦笑するキースと目が合った。
「ほら、やっぱり。お前また、置いてきぼりにされたような顔してる」
その表情が幼い日の彼と重なる。
フィオがどれだけキースにちょっかいを出しても、彼は怒らなかった。代わりに義母ニンファに叱られて、泣きながら謝りにいくと、キースはいつもこの微笑みで受けとめてくれた。
過ぎ去った日々をなぞるように、キースはフィオの頭をなで、抱き締める。
「自分の気持ちをちゃんと吐き出してくれ。ちゃんと受けとめるから」
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