81 大人になれない②

「違いますよ! 困らせたいわけじゃありません。ただ、その……」


 フィオはジト目でジョットをせっつく。


「坑道でフィオさん、俺に抱きついてきたでしょ?」

「はい、やめー。お疲れさまでした。すみやかに島へお帰りください」

「わあああっ! 待って! まだ途中ですってば!」


 閉めようとした扉に体をねじ込まれ、少年の丸い頬をぎゅむっと潰してしまった。「痛いですう」と子犬のように鳴かれては無下にできない。

 廊下に出て、フィオは背中で自室の扉を封じながら腕を組んだ。


「私の“ハグ”がなんだって?」

「あ、はい。だからハグするくらい怖い思いしたってことですよね? そんなあなたをひとりにしておけないんです。その、力になりたくて……」


 少年がそこまで重く受けとめていたことを意外に思うと同時に、軽率なおこないを後悔する。歳ばかり重ねて、過去のトラウマひとつ乗り越えられていないなんて情けない。

 まるで父と死別した四歳から、なにひとつ成長してないみたいだ。

 フィオはイライラと耳裏を掻く。


「それは忘れていいから。ちょっと気が抜けただけ。もうなんともないし、少年は気にしなくていいよ」

「それって、俺が子どもだからですか? 頼りないから、言っても仕方ないと思ってるんですか」

「違うって……」


 図星をつかれてフィオは目が泳いだ。確かに言っても仕方ないことだとは思っている。それはジョットが子どもだからではなく、心の傷がもう二十三年も前のものだからだ。

 父は死に、彼の心を知る術はとうにない。

 どうしようもないことをいつまでも根に持っているフィオが問題であり、解決法はわかっている。

 ぽっかりあいた穴を、自信と新しい愛情で満たしてやることだ。

 でも今の私はどちらも掴めていない。


「フィオさん、やっぱり辛そうですよ……?」


 無意識に握り締めていた拳をほどいて、フィオはパッと顔を上げた。


「そりゃそうでしょ! 朝からなんにも食べてないんだから! あー、やっぱ先ごはんにしよ。大将に鉱夫助けたって吹っかけて、タダ肉もらおっと」


 強引に話を切り上げて、フィオは階段へ向かう。背中にジョットの視線を感じたが、なにも言わずについてきた。

 しかし少年は、フィオがごま油とタカの爪が効いた野菜をかじっている時も、大将と鉱夫のおごり肉をシャルルに与えている時も、じっと見つめてきた。本当になんともないのか、観察するような目だった。


「夜更かししないで早く寝てください。平気だと思っても疲れが溜まっていることもあるんですからね」


 別れ際、フィオよりも早く口を開いたジョットの言葉に、思わずぽかんとしてしまった。まさに今フィオが言おうとしたことと、ほとんど同じだった。

 長旅の道中でも何度かジョットに言い聞かせてきたことを、自分が言われるとは。


「フィオさん。返事は?」


 これもどこかで聞いた言葉だ。


「は、はい」


 つい敬語で返したフィオに、ジョットは大きくうなずく。だが下がろうとはしない。なにかを待つ眼差しの意図に気づいて、フィオはそそくさと自室の扉を開けた。


「おやすみなさい」

「……おやすみ」


 閉まる扉の隙間から見たジョットは、年下のくせに保護者みたいな顔をしていた。普段とはまるっきり反転してしまった立場に、調子を狂わされる。

 これがキースなら義妹いもうとの特権をここぞと振りかざしているところだが、ジョットはいくら頼もしくても子どもだ。十三歳も年下の! 甘えるなんてあり得ない。みっともない。大人の沽券こけんに関わる。


「明日からもっとアレだ、強気にいかないと! 弱みを見せたらすぐつけ上がる! いろいろ危ない発言をされてるのも甘やかしたせいだ。もっと横柄に、人をあごで使って見下す……そう女帝のように!」

『フィオー』

「ひええっ!? 許して!」


 突然、部屋に響いた声にフィオはすくみ上がった。なにごとかと目をきょろきょろしていると、また『フィーオー』と聞こえてくる。

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