第3章 悲劇と喜劇

59 少年の事情①

 アンダルトのとある宿。出発する観光客でにぎわう玄関広間で、ふたり組みの男は食後のコーヒーをすすっていた。


「おい、見たか。今朝の新聞」

「ああ、間違いない。パピヨン・ガルシアの胸はメロン以上にでかいぜ」

「バカ野郎。そっちじゃねえ。なに普通にレース楽しんでるんだ」

「パピヨン様のシャツも買った。お前はどうせピッピちゃん派だろ? ほら」

「おう、気が利くな。じゃねえんだよ! なんで俺の性癖把握してんだよキモいな。違うだろ。こっちの小さい記事だ!」


 一面に華々しく載るハーディ・ジョー、二面を飾るガルシア姉妹を飛ばして、男は四面を広げる。そこにはヒュゼッペレース五位以下の順位が並び、下のほうに小さな転写絵てんしゃえと数行の評語が掲載されていた。

 それによると転写絵の女性と黒いドラゴンは、怪我から復帰したフィオ・ベネット氏と、その相棒シャルルだという。


「これがなんだっていうんだ?」

「俺たちが追ってるガキの手がかりだろ! しかもこの記事には『ベネット氏のかたわらには謎の少年ナビが!』と書いてある」

「つまりその少年がジョット・ウォーレス!?」

「可能性は高い。本人に聞いてみようぜ」



 * * *



 かばんを下げ風車小屋を出たジョットは、シャルルに跨がって待つフィオににっこりと笑いかけた。


「フィオさん、見送りはここまででいいですよ」

「なに言ってるの。早く乗りなさい。うまく風に乗れば、今日中にトラメルに着けるから」


 荷物を受け取ろうと、フィオは手を伸ばしてくる。ジョットは一歩下がって首を横に振った。そこではじめて、彼女の顔が怪訝けげんに曇る。


「二週間もフィオさんの時間を奪うわけにはいきません。早く現地入りすれば休めますし、練習もゆとりを持ってできる。俺に構わず行ってください」


 フィオは器用にシャルルの背中であぐらをかき、ため息をついた。


「子どもが遠慮しないの」

「子どもじゃなくて、あなたのナビとしてです。たった一度きりのナビでしたが、あなたの力になりたい気持ちは変わりません。せめて足を引っ張りたくないんです。送ってもらってもし、エルドラドで勝てなかったら、俺一生引きずりますよ」


 上目遣いで見つめる。するとフィオは怯んだように顔を逸らした。なんとなく感じていたが、フィオはジョットのすがる目に弱い。

 大人なのにチョロい人だ。そんなところもかわいらしい。

 唇をなでながら、フィオは考える素振りを見せる。


「じゃあ、ファース村までにする」

「いいですから。それでも十日はかかっちゃいますよ」

「見送らないわけにはいかないってば。せめてトラメル! これ以上はゆずりません」


 年上ぶった口調だが、言うことはまるで子どもだ。ジョットは思わず笑みをこぼす。ムッとするフィオを笑ったのではなく、大人として振る舞うことで甘えさせてくれるやさしさが、くすぐったかった。

 少しもったいつけて、ジョットは用意していた言葉を口にする。


「実はノワールさんが、帰りの足に困ったらおいでって言ってくれたんです。ノルモ入江まで郵便物といっしょに運んでくれるって」

「え。お義父さんが? そうだったの」

「はい。だから俺のことは心配いりません。入江からはドラゴン便を使って、まっすぐ帰りますよ」

「……ふうん。そっか。それなら安心だね」


 まだ渋るようにフィオは沈黙していたが、やがて「わかった」とひとつうなずいた。


「なら、ここでお別れだね。少年」


 ふいに手を差し伸べられ、肩が思わず震える。しかしすぐに笑みで誤魔化して、ジョットからも手を伸ばした。

 しっかりと握り合ったフィオの手は、豆でところどころ固くなっている。けれどずっと触っていたいくらい、あたたかくて心地いい。


「いろいろありがとう。あなたのためにも、私は最後まで夢を諦めないから」

「こちらこそありがとうございます。離れていても応援してますから、忘れないでくださいね。それと、約束を結び直してください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る