55 その手は背中を押したのか、突き飛ばしたのか③

 復帰を望むことも、慕う気持ちも、会うことさえ重荷になるんだとしたら、どうすればいい?

 俺がフィオさんにしてあげられることって?

 ふいに肩に触れられて、ジョットはビクリと震えた。


「本当にあいつを思ってくれるなら、全部忘れて故郷へ帰れ」


 来てくれてありがとな、ジョット。

 最後にそう言ってキースは個室を出ていった。


「よお、キース・カーター。お前がソッチ系だったとはな。通りでフィオとコンビを解消するわけだ」

「ゴールドラッシュ。お前には関係ない。さっさと消えろ」


 外で誰かと行き合ったらしいキースの声を耳にしながら、ジョットは肩を掴む。

 去り際、そこを叩いていったキースの手は大人だった。それが無性に腹立たしいのに、この感情さえ子どもなのだと突きつけられ、文句も出ない。


「フィオさん……」


 あふれるばかりの思いに、窒息しそうだ。



 * * *



『俺が間違っていたんです。やっぱり足の痛みが完全になくなってから、レース復帰するべきでした。フィオさん、ここで棄権しましょう。今は体のことを、一番に考える時です』


 二位集団の最後尾につけながら、フィオは黙ってジョットの声に耳を傾けていた。毅然きぜんとしているが、少年の声はかすかに揺れている。

 シャルルも不安を乗せてか細く鳴いた。


「……ねえ少年。あなただけだったんだよ。ギルバートもティアも両親もシャルルもキースも、私が崖から落ちないように引き止めてた。けどあなただけは、『飛ばないのか?』って背中を押した。それで私は今きっと、人生を転がり落ちてる」

『フィオさん……?』

「だけど私は、その言葉がずっと欲しかったんだ。頬に風を感じたかったの。たとえそれがひと時でも。もう二度と、元の場所には這い上がれなくても」


 伝心石からジョットの息を呑む音が聞こえた。


『まさかフィオさん、足のこと全部わかってて……っ』

「だってギルバート、迷走してたもの。いつも同じ歩行訓練とマッサージばかり。痛みが引いたあとの話は歯切れ悪くてさ。キースだって強引に進める人じゃない。大事なことは会って話すよ。ずっと彼らしくなかった」


 みんな嘘下手だね。フィオはくすくす笑う。しかし伝心石の向こうからは、鼻をすする音が聞こえた。

 近づいてきたアンダルトの街。その中央に構える競技場コロセウムで、歓声に沸く七万人の中ひとり、頬を濡らす少年を思う。


「泣かないで。あなたに責任を負わせたりしないよ。歩けなくなってもいいから飛びたかったの。ロードスターになれる最後の機会に、すがりたかったの。無意味なからっぽの人間のまま、終わりたくないから」


 ついに噛み殺しきれなくなった少年の嗚咽おえつを聞きながら、フィオは背負ったライフルに手をかける。

 競技場コロセウム前の上空には、護石ごせきから放たれる薄青色の障壁区画ジャマーゾーンが展開されていた。


「さあ! ここから挽回するよ、シャルル!」

『フィ、フィオさん勝って……! 勝ってロードスターになってください! それがおれのっ、夢だからあ……っ!』


 フィオはにやりと笑い、薄青い幕へ突入する。

 障壁区画ジャマーゾーン内には無数の飛跳石とびいしが跳ね回る。それを追って先頭集団のライダーたちは、ライフルを構え仕留めようとしている。

 飛跳石を持たなければ、障壁は潜り抜けられないからだ。


「狙ってシャルル!」


 ライフルを肩にあて、フィオは片目で照星しょうせいを覗く。シャルルの頭がひくりと反応した。ひとつの飛跳石に狙いを定め、グンッと加速する。瞬く間に射程内まで距離を詰めた。

 まだだ。合図はシャルルがくれる。逸る気持ちを抑えた時、標的が大きく横へ曲がった。右へ左へ、狩人の殺気を感じているかのように足掻く。しかしシャルルはぴたりと後ろにつけていた。

 そして次の瞬間、クリスタルの角が大きく下がる。

 合図だ。フィオはすかさず引き鉄を引く。放たれた染料弾は、吸い寄せられるように標的へ向かい、桃色の蛍光染料が弾ける。

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