52 もっと速く!もっと風を!②

『あとひとり! 後ろにぴったりつけてます!』


 ジョットの声で背後の存在を知る。森に入った時、右から迫ってきたライダーだろう。

 シャルルのものと重なるくらい、相手の羽音が近くで聞こえる。


「いいじゃん。ついてこられるものなら、ついてきなよ!」


 フィオのたかぶる思いに呼応してシャルルが吠える。

 相棒は風を切るように体を捌き、木々をかわしていく。木立が連なる隙間を、身を縦へひねって通過した。枝葉を掻き分け、その奥に隠れていた巨岩の脇を舐めるように駆け抜ける。

 相手も一歩も怯まなかった。けれど仕かけてくる様子もなく、フィオはその胸中を推測する。

 私に道案内させる気ね。

 にやりと笑い、フィオはあえて低く高度を保った。まったく同じ動きでつづく後ろの気配を感じつつ、見えた倒木に笑みを深める。


「シャルル。あなたを信じてる」


 フィオは目を閉じて、頭を完全に下げた。折り重なるように横たわる木々を前にして、シャルルの羽ばたきはよりいっそう強まる。

 倒木が作り出した三角窓。そこを潜り抜ける瞬間、シャルルは翼をぴたりと体につけ、頭から尾までをまっすぐに伸ばす。

 まるで風のように掴みどころなく、柳のようにたおやかに、わずかな隙間を貫いた。


「あああっ、まずい……!」


 直後、悲鳴が上がり、衝突音が森に響く。ちらり振り返ると、真っ二つに折れた倒木のかたわらに、ライダーとドラゴンが転落していた。

 ぶつかったのは腐りかけの木だ。大した怪我は負っていないだろう。


「前方には注意しないとね」

『なんですか、今の悲鳴。え、四十四番消えたんですけど。フィオさん?』

「私はなにもしてませーん」


 森を抜けると視界が開ける。揺蕩たゆたう湖を回り込み、折り返す先頭集団が見えた。


「今何位!?」


 フィオは旋回が甘くなった前のライダーを抜きながら、湖畔の際すれすれを攻める。


『三十五、いや、三十四位です!』

「先頭は今どこ!?」

『麦畑に入ってます! ふたり! えっとたぶん、ハーディ・ジョーとパピヨン・ガルシアです!』

「くっ。見えてるのは二位集団か」


 湖を抜けようとしている対岸のライダーたちを見やる。彼らよりももっと先に、追いかけるべき背中がある。湖半周分以上。これが今のフィオと、優勝経験者たちの実力差だ。

 その時、前のライダーが体勢を乱し、失速した。シャルルは瞬時に下方へ避ける。見上げた先には、接触をものともしない銀翼ぎんよくのシュタール・イージスがいた。


「キース!」


 キースは耳の伝心石に触れる仕草をした。すると振り返り、フィオを見下ろす。大方、ナビのヴィオラから情報を聞いたのだろう。

 フィオの伝心石に突然ノイズが走った。


『棄権しろ、フィオ。ここから挽回するのは無理だろ』


 聞こえてきたのはキースの声だ。ジョットが驚きの声を上げる。すっかり失念していたが、元ナビのキースはフィオの伝心石のマナ波を登録したままだ。


「ふうん。それはあなたもなんじゃないの」

『いや。俺は風を掴む。だがフィオ、お前の足では耐えられない』

「みくびらないでよ」


 そう答えた瞬間、発砲音が響いた。シャルルは瞬時に身をひねって回避する。

 しかしフィオは完全に不意をつかれた。身構えていなかった動作に、体は大きく揺さぶられ、とっさに耐えようとした足に負荷がかかる。

 とたん、患部に激痛を感じた。


「うぐ……っ!」

『え。え、え、フィオさん? 今の音まさか、当たったんですか!? 怪我したんですか!?』

『ほらな。お前の足は森を抜けるだけで精一杯だ』


 ライフルを回し、キースは次弾を送り込む。被弾したと勘違いしているジョットを、冷ややかに呼んだ。


『ジョット、言っただろ。これ以上お前のわがままを押しつけて、フィオを傷つけるな。今すぐ故郷に帰って、すべて忘れろ』


 再びマナ波が乱れて、こちらへの干渉が切れる。前へ向き直ったキースは、湖を抜けると同時に高度を上げた。

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