51 もっと速く!もっと風を!①

『そう、ですか。ならいいんです。すみません。レース直前に変なこと聞いて』

「いいよ。じゃあ見ててね。私たちがロードスターになる第一歩を」


 にこやかに答える。その内心でフィオは舌打ちする。

 キース。余計なこと言ったな、あいつ。

 ハーネスのハンドルを握るフィオに合わせ、シャルルは前傾姿勢を取る。軽く開いた翼の下へ風が集まり、ヒュルヒュルと高い音を奏でた。

 次々と構えるドラゴンとライダーたちの間を縫い、フィオが見つめるのは若き王の背中、その一点だ。

 何列も重なったスタートランプが一斉に赤く点灯する。七万人の観客は水を打ったように静まり返った。

 赤がもうひとつつく。


「さあ、シャルル。いっしょにいこう」


 ランプが黄色に変わる。一気に高まる選手たちの気迫が、ビリビリと肌を刺す。

 誰もが息を呑んだ瞬間、四つ目のランプが青く光った。数十頭いるドラゴンたちの羽音が、ひとつに重なって響き渡る。突風が観客席を駆け抜けた時、ライダーたちは正面大扉へと殺到した。


「あちゃ。ちょっと出遅れたかな」


 門を潜る進路の奪い合いに圧され、フィオは後方にいた何人かに抜かされた。その中には憎たらしいキースもいて、奥歯を噛む。瞬発力が勝負の開戦直後は、どうしても練習できなかった空白期間の影響が大きく出た。

 シャルルが苛立たしげに吠える。


「焦らない! 勝負はこれからだよ!」

競技場コロセウムを一周半! そのあと北西門通りを抜けます!』


 ジョットの案内を聞きながら、フィオは競技場コロセウムを外周し大通りへと入った。沿道、両脇の建物から、人々が手を振って歓声を上げている。

 フィオは手応えを感じていた。水平飛行、旋回技術は衰えていない。シャルルは角の内側を攻めてくる後続に、それを許さなかった。

 相棒の心が、どんどん静かな闘志に染まっていくのがわかる。


「その調子。次の旋回からもっと速度上げて」


 でも、とシャルルは迷いを抱く。


「ダメ。こんなんじゃ足りないよシャルル。もっと速く! もっと風を!」

『門を左へ! 森に入ります!』

「その先の湖の方角は!?」

『え。えっと、えっと……』


 つい、ナビに先読みを求めてしまい、この声は少年だったとフィオは反省した。しかし謝る暇はない。北西に広がる森がすぐそこまで迫る。

 フィオは脳裏に地図を広げ、森に隠れた湖に向かい進路を調整した。そして頭を下げ、シャルルにぴたりと身を寄せる。


「任せるよシャルル!」


 薄暗い森に青いクリスタルの角が分け入ると同時に、左右からふたりの選手が接近してきた。

 密集する枝葉に怯むと見て、右側のライダーが前へ割り込もうとしてくる。


「許しちゃダメ」


 フィオは速度を上げさせ、シャルルの体で相手を阻む。その代わり、木々を回避する動作が鋭くなり、負荷が重く伸しかかってきた。

 体を支える足のつけ根にせつな、鈍い痛みが走る。


「構わないで! 集中!」


 声に出さなくても、フィオの痛みはシャルルにもわかる。感情よりも早く、ためらいを見せた翼を叱りつけた。

 左のライダーとは並んでいた。枝葉をかわす二頭は、離れたかと思えば翼が接触しそうなほど近づく。一瞬の判断が致命的ミスになる競り合い。相手よりも気が小さくなれば負けだ。

 しかし、相手とぶつかりそうになる度に、シャルルの忍耐力は削られていく。


「あの木……!」


 そこへ、前方に太い枝が横へ伸びている大木が見えた。フィオはシャルルの心に向けて、作戦を伝える。

 するとすぐに、シャルルは枝の上へ進路を取った。それを見た相手は下に向かう。予想通りだ。

 太い枝を通過する直前、シャルルは急降下し、伸しかかるように相手の行く手を奪う。


「うわあ!?」


 ライダーには突然、黒い幕をかぶせられたように映っただろう。ドラゴンも接触を嫌がり、無理な回避をしたせいで体勢を崩す。大きく失速した彼らは、後方へ下がった。

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