49 開幕!ヒュゼッペレース③

「じゃあ、少年はそろそろナビ席に行きなさい。いっしょに行く?」

「いえ。ナビ席って最前列ですよね。ひとりで行けますよ」


 場所をちらりと確認したジョットは、まじめな声でフィオを呼んだ。


「後悔、させませんから。俺にナビやらせたこと」


 そこまで言って口ごもり、眉間にしわを寄せる。


「きっと、キースにはまだ敵わないでしょうけど……。でも全力でやります!」

「そんなに気負わなくていいってば。昨日も言ったけど、あなたは後ろにつけてきたライダーのこと教えるくらいでいいから」


 笑みを浮かべて、フィオは空気をやわらげようとした。しかしジョットは首を振って拒む。


「フィオさんには勝って、絶対ロードスターになって欲しいんです。それが俺の夢でもありますから!」


 力強く言い放ち、ジョットはナビ席に走っていった。


「夢……。それは、困ったな」


 うつむくフィオにシャルルが寄り添う。

 背負うのは自分とシャルルのことだけだと思っていた。それならたとえキースの言う通り、足の痛みで満足に飛べなくても悪化しても、割りきって始末がつけられる。

 しかしジョットの夢まで抱えて飛ぶには、今のフィオには荷が重い。


「これ以上あの子には、かっこ悪いとこ見られたくないんだけどな。ん?」


 ジョットの後ろ姿を視線で追って、フィオは眉をひそめる。ナビ席に入る少年のすぐあとに、見慣れた青髪が入っていった。

 スタートの号令がかかるのはもうまもなくだ。今からどこかへ行くキースではない。

 なにを企んでるのかな、あの男は。


「ベネットさん! フィオ・ベネットさんですよね。お久しぶりですー!」


 そこへ陽気に声をかけられて振り向く。だがフィオはすぐに後悔した。

 まくった袖の黒と灰色のチェック柄、淡い黄色の上着、黒のサスペンダーに短いネクタイ。この組み合わせの制服は、誰もが知っている。日刊ドラゴニア新聞社の記者だ。


「えーと。どちら様でしたっけ」

「あ! わざとらしく目背けないでくださいよう! ドラゴニア新聞のレ・ミミです! ファース村の滞在先にもお邪魔しましたよね!?」


 フィオは改めて小柄な女性記者を見た。

 茶色の目を好奇心に輝かせた、二十代前半の若手だ。癖のない緑のショートヘアには、てっぺんにリボンがついたこげ茶色の帽子をかぶっている。

 ああ、そうだ。相棒ドラゴンが動きたくないと言うから、会社のドラゴンに乗って村に来た記者がひとりいた。


「今日も相棒は反抗期? 姿が見えないようだけど」

「そうなんですよねー。まあ、もうおばあちゃんだからしょうがないんですけど」


 珍しい。相棒になるドラゴンはたいてい若く、離れていても十歳前後だ。高齢ドラゴンが相棒として現れた話は、フィオが知る限り他にない。


「それにしてもベネットさん見違えましたよー! かなり細くなりましたね!」


 フィオを頭からつま先まで見るミミに、「まあね」と髪を払ってみせる。するとすかさず転写機てんしゃきの撮影音が鳴った。

 記憶石を改良した、風景を保存できる記者の必須道具だ。抜け目ない。

 フィオはついでにシャルルを呼んで、寄りかかるポーズを取った。


「仕上がりはまあまあってところかな。三週間で絞るのはさすがにきつかったわ」

「でも今のベネットさん、とてもいい表情されてますよ」


 転写機の覗き窓越しに、ミミが笑っている気配を感じた。フィオも目を細めて笑みを返す。撮影音がまた走る。


「ではフィオ・ベネット選手。今回の意気込みを聞かせてください!」


 えんぴつと手帳に持ち替えて、ミミは一歩詰め寄る。

 数瞬、フィオの胸には不安や迷い、悲観が生まれた。けれど最後に奥底から湧き上がってきたものは、希望だった。

 シャルルと飛べる喜び。ロードスターとしてみんなから祝福され愛される、未来の自分への憧憬。それらが恐怖を溶かす。


「勝つ。最終レースまで進んで、ロードスターになる。それしか考えてないよ」

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