44 少年の決意①

「もう。これだからお子サマは」


 フィオは鍋をかまどから下ろし、階段を上る。大人として仕事に対する責任を叩き込んでやらねばなるまい。

 そう思ったが、床にはマットも上かけも転がっていなかった。


「なにしてるの」


 ジョットは隅でなにやら漁っていた。シャルルが横から首を突っ込んでいる。フィオも肩越しに覗いてみると、少年は小型トランクから地図や発信機を出していた。


「ああ。それ見たかったの。でもあとにしよ。仕事行く準備しなくちゃ」

「フィオさん」


 フィオが目をぱちくりさせたのは、ジョットの声が存外硬かったからだ。振り向いた表情は重々しく、金の目には見る者をドキリとさせる強さがある。

 ジョットは握り締めた道具をフィオに突き出した。


「これの使い方を俺に教えてください!」

「それってつまり」

「俺が、フィオさんのナビになります!」


 立ち上がって叫ぶジョットの目は、少し赤くなっていた。もしかしたらこの子も眠れない夜を過ごしたのかもしれない。キースの言葉を真に受けて、焚きつけた責任の一端を感じたのだろうか。

 微笑みを浮かべ、フィオはジョットの手をやんわり押さえた。


「あなたがそこまですることないよ。ナビは、まあ今からじゃ難しいけど、新しい人見つけられるかもしれないし。それに……覚悟はしてた。なにがあっても最後まで飛ぶってね。だからあなたはしっかり、旅費を稼いで――」


 手を弾かれて、フィオは口をつぐむ。黒髪を振り乱しながら、ジョットはあとずさった。


「違う! あいつの言ってることは全部間違いなんだ! フィオさんは速い! 誰にも負けない! 必ずロードスターになる! 今は復帰したばかりで調子が出ないだけなのに、あいつはなんにもわかってない! 自分が目立ちたいだけの最低野郎だ!」


 俺はっ、と息を弾ませながらジョットはつづける。


「俺は見返してやりたい! フィオさんはすごいんだって証明してやる! その手伝いを俺にさせて欲しいんです!」


 その場にひざをつき身を乗り出して、ジョットはフィオの目を見た。


「お願いです。俺にフィオさんのナビをやらせてください!」

「いいよ」

「そこをなんとか! ……え?」


 きょとんと丸まった目がおかしくて、フィオは噴き出す。まだ言葉を飲み込めない様子のジョットに合わせ、身をかがめた。


「だってあなた、レース終わるまで帰らないんでしょう。ちょうどいいんじゃない? 観戦気分でナビ席に座ってなよ」

「俺は本気で言ってます!」

「ナビは数週間練習したくらいじゃ務まらないよ」


 フィオはシャルルに歩み寄り、頭をなでた。すり寄ってくるままにあごから首筋、背中と触れる。そして翼に辿り着いた。

 翼はドラゴンの大事な部位のひとつだ。相棒でも最初から触らせてくれるとは限らない。フィオは発達した指骨しこつをそっとなぞる。シャルルは飛膜ひまくをくつろげ、ゆだねていた。

 強靭なこの翼が、フィオを栄光の空へ連れていってくれる。


「それに、見返してやるってバネにするのはいいけど、そればかりに捕らわれているようじゃダメ」

「なんでですか。フィオさんは悔しくないんですか!?」

「空はからっぽ。ゆえに自由。ゆえに孤独。ゆえに恐ろしい。……レースライダーはみんな命を懸けてる。隠れた努力をして、少なからず犠牲ぎせいを払ってる」

「ギセイ?」


 子どもにはまだわからない感覚だろうか。フィオとてはじめは考えもしなかった。

 ふたつを天秤にかけることもなく、捨てられるものの重みを顧みることなく、ただひたすらに恐れ知らずだった。


「私たちは天に敬意を払い、ともに戦う者を称え、やれる努力をしたらあとは運に任せるしかないのだよ。少年」

「……キースが離れたのも、そういう運命だから仕方ない。ですか?」

「それが勝つための考え方だと思う。なにが起こるかわからないのが、人生だから。理不尽に振り回されて、本来の目標や自分を見失うのはもったいない。……ファース村にいた私は、もったいない時間を過ごしてた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る