37 ヒュゼッペ国首都アンダルト

「死んじゃう! 死んじゃう! まだしにたくないいいっ!」

「おーい、少年。目を開けて。ほら」


 抱えていた手を片方離して、フィオは身をひねりジョットの下に入る。支えを失って、少年は驚いたように目を開けた。

 金の瞳とフィオの目がひたと絡み合う。

 にこりと微笑んで、フィオは自分の目を指した。その指先を地上へ向ける。

 ヒュゼッペ国の領土、そのほとんどを占める広大な平原が、少年に見えているだろうか。コーダ・タルタルの青い山脈から、きらめく水の恵みが大地を伝う。その恩恵に草花は瑞々しく輝き、雲から垂れる影は世界の輪郭を描く。


「これがあなたのいる世界だよ」


 聞こえないとわかりながら笑いかけ、ジョットに目を戻す。すると少年はどこかぼんやりとした表情で、フィオを見ていた。

 シャルルの心配する声が聞こえる。


「来て! シャルル。私たちを拾って!」


 相棒ドラゴンと心を通わせながら、フィオはジョットと繋いだ手を引き寄せた。少年を胸に抱え、足を軽く開いて片手を伸ばす。

 その開いた足の間に、シャルルが後方からするりと身を合わせてきた。ジョットは驚いていたが、フィオは予測通り手元にきたハンドルを掴んで、低い姿勢を取る。

 垂直落下から一転、ピンと張ったシャルルの翼が空気の層を叩きつけ、それを踏み台に上昇する。押さえつけられた空気は周囲に弾け飛び、草木が仰け反りおののいた。


「さっきちゃんと山とか川見えた?」

「み、見えましたよ」


 風に負けないように声を張る。てっきり文句が飛んでくるかと思えば、ジョットの声はしおらしい。目を向けると、少年は首をすくめて顔を逸らした。


「着いたよ、少年。ヒュゼッペの首都アンダルトだ」


 雄大な青い小麦畑の中に、ぽつぽつと赤いレンガの風車が建っている。その足元から伸びる水路を辿っていけば、白壁にオレンジの屋根を乗せたアンダルトの街が広がっていた。

 なによりもまず目を引くのが、街の奥で悠々と構える巨大風車かざぐるまを背負った建造物だ。


「大きい。思っていたよりずっと。フィオさん、あの風車が」

「そう。我らがヒュゼッペ国王の居城だよ。でもあの風車は今はただの飾り。昔は粉をいて、パンを民に分配してたらしいけど」


 シャルルが短く鳴いて、迷いを伝えてきた。フィオは城門を見下ろす。そこでは街へ入ろうと人々が列を作っていた。先頭では竜騎士が身分証と荷物の確認をおこなっている。

 城下町には実家がある。行けばきっと歓迎してくれる。レースに臨むためにも、快適に休める場所が必要だ。

 だがフィオは街から視線を外し、郊外の小麦畑へと向けた。


「風車にいこうか」


 羽根から伸びる歯車と主軸の歯車が噛み合い、ゴトゴトと音が響く。下層では畑へ水を送る水車が、水音を奏でていた。

 第二層の窓から風車の中へ入ったフィオは、壁かけの発光石に触れて明かりをつけていく。マナの残量が心配だったが、輝石は危うげなく室内を照らした。


「ちょっと狭いけど、悪くないでしょ。歯車の音もね、慣れると心地いいよ」


 きょろきょろと見回しながら入ってきたジョットに、フィオは少し緊張した。竜舎と変わりないですね、と言われたら否定できない。

 そこへ上からシャルルの声が催促してきた。


「あ、ごめんごめん! 今開けるね」


 階段で第三層へ駆け上がり、跳ね上げ式窓を開ける。シャルルはここの大きな窓からしか入れなかった。器用に翼を畳んで、尻の荷物をつっかえさせながら潜り抜けてくる。

 ドラゴンの太い脚に踏まれて、床板が悲鳴を上げた。

 フィオは早々にシャルルに伏せをさせ、荷物をほどきにかかる。ドラゴンにとって窮屈なのは間違いないが、甘えたな相棒は案外この狭さを気に入っていた。


「フィオさん、この風車はなんですか?」


 階段を上ってきたジョットは、不思議そうに目を巡らせた。マットや上かけ布団、小さな棚に本。風車にあるはずのない家具たちが置かれている。

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