第2章 応援か我がままか

35 確かめる体温

 ジョットはどこかもわからない暗がりの中、誰かに追いかけられていた。恐怖で泣き叫びそうになる心を抑えて、振り返る。

 そこには誰もいない。けれど確かに足音がする。巨人のような、考えられない大きさの足音がふたつ、着実に近づいていた。


 嫌だ。来るな。


 声は音にならず、助けを呼ぶこともできない。

 ジョットは力いっぱい足を動かし、腕を振った。すぐに心臓が早鐘を打ち、息が上がる。なのにちっとも前に進まなかった。

 気持ちが急けば急くほど、足は重くなりもつれる。まるであたりの空気が粘着質な泥に変わり、まとわりついているかのようだった。心だけを置き去りにして、体は後ろへ引きずられていく。

 巨人たちの足音が迫る。


 そっちには行きたくない。

 助けて。たすけて。


 ジョットは暗闇へ手を伸ばした。呼びたい名前があったはずなのに、その記憶だけがすっぽり抜け落ちている。

 金の髪を羽根のように揺らしていた人だ。蒼天の瞳でやさしく微笑み、あたたかい胸に包んでくれた。


 待って。置いていかないで!


 音にならない声を振り絞った瞬間、大きな手が後ろからぬっと現れ、ジョットの視界を覆い尽くした。


「あ……」


 びくりと体が跳ねた振動で、ジョットは目を覚ました。夢の余韻に捕らわれて体が動かない。目の前には薄雲棚引く星空が広がっていた。

 混乱する頭が、下からやわらかいものに押し上げられる。目を起こすと、流線型のクリスタルの角が見え、ドラゴンの低い寝息が降ってきた。


「そっか。野宿したんだっけ」


 ようやく頭が回りはじめて、ジョットはシャルルの腹枕に再び頭を預ける。

 ここはファース村と首都アンダルトの中間に位置する町、トラメルの郊外だ。シェルフ川に沿って北上する途中で立ち寄った。


「いくら相棒ドラゴンがいるとはいえ、女性なのに」


 ジョットは寝返りを打ち、隣のフィオを見る。眠りについた時と同じ、ふたり分ほどの距離をあけ背中を向けていた。

 フィオはジョットが驚くほど野宿に抵抗がなかった。遠征がつづくレースライダーは、移動の出費をできるだけ抑えるものらしい。入浴と食事のために寄った宿でも、フィオは素焼きした木の実をつまんでいるだけだった。


「あんなに食事にうるさい人だったのに、もうどうでもいいみたいにレースのことしか考えてない」


 つぶやいたとたん肌を戦慄わななかせたのは、畏敬いけいか憧憬か。向けられた背中が、急に寂しく遠く感じる。


「フィオさん」


 そっと呼んでみるが返事はない。安らかな寝息が聞こえてくるのを確かめて、ジョットはひとり分だけ体を詰めた。

 草をなでながら、おずおずと手を伸ばす。指先が彼女の上着に触れ、探りあてた裾を少しだけ握った。


「フィオさん、おやすみなさい」


 その名前を呼べる安堵が胸に広がる。暗闇の中、求めていたのはこの場所だった。安らぎが連れてきた睡魔に抗わず、ジョットはまぶたを閉じる。

 また巨人が追いかけてきたって、今度は空を飛んで逃げてやろう。



 * * *



「ドラゴン知識問題のコーナー! いえーいっ!」

「フィオさん、移動に飽きたんでしょ」


 トラメルを発って二日目。ファース村から数えれば五日目だ。

 さすがに会話も乏しくなり、無言も心地いいと言える間柄でもない。気まずい空気を晴らそうと、フィオは拍手で自主企画を発表する。

 だというのに最近の若者ときたら、行間を読まず、なんでも素直に口に出せばいいと思っている。

 まあ、半分は正解だけど。


「いいでしょ! 答えられたらアンダルト名物むちミルクアイスおごってあげる」

「そんなお金ないくせに」

「問題です」

「あ、流しましたね?」

「ドラゴンを分類するその主な数は」

「はい! 七種類!」

「ですが」

「うわ、引っかけ入れてきた」

「種類ごとの名前と特徴を七種類すべて答えなさい」

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