33 旅立ち②

「シャルル、しっぽの刑」

「え? なんですかそ――あだ!?」


 きょとんと目をまるめるジョットの頭を、シャルルのしっぽがぺちんと叩く。うずくまる少年をフィオは冷ややかに見下ろした。


「今すぐ帰りなさい。あなたの旅は行き当たりばったりの無謀で危険な行為だよ。ここまで来れたのは運がよかっただけ。私のレースならシャンディ諸島で観れるから、それで我慢しなさい」


 ほら、と手を差し伸べてうながす。しかしジョットは弾かれるようにあとずさり、首を横に振った。


「嫌だ! ずっと我慢してたんです。ロードスター杯の時は観光客が急増するから、宿が忙しくて、ずっと観に行けなくて。でもいつかはって思って、小遣いを貯めてたんです」


 少年の手が、かばんのひもをきつく握り締める。


「夢を追いかけるあなたに、応援してますって言いたかった! 誰よりも近くで、あなたの喜びも悔しさもいっしょに感じたかった! 俺は帰りません。止められたって絶対、歩いてでもアンダルトに行きます!」


 しかめ面を下げ、ジョットは深く一礼した。サッときびすを返し、北へ伸びる街道をずんずん歩き出す。

 グウ、と短く鳴いてシャルルがフィオを見た。あれでいいの? と問いかけるような目だ。

 フィオは長いため息をついて頭を抱える。リルプチ島で今頃、コリンズ夫妻が心配しているだろうと思うと胸が痛い。


「……まだ失望しないの? どうせ飽きるなら、早いほうがいいのに」


 脳裏に金の眼差しが過る。それはいつもまっすぐで、ひねくれた大人の心まで照らした。純粋な光は強くて痛い。けれどひどく懐かしい。


「あーあ。私ってダメな大人だね」


 シャルルがうれしそうにしっぽを振ったからだ。ひとり言い訳をして、フィオは相棒に跨がる。シャルルは翼ひと振りでジョットに追いつき、道を塞ぐように下り立った。


「ひとつ約束してくれる?」

「フィオさん……? なんですか」

「向こうに着いたらすぐ、ビッケスとペギーに手紙を出すこと。それが守れるなら送ってあげる。アンダルトまで」


 ジョットは目をまるくして固まった。しかしみるみると唇はほころび、瞳にランタンの光が映ってキラキラ輝く。

 月明かりがはっきりと、喜色に染まる少年の笑顔を照らし出した。


「はい!」


 大きなかばんを網に押し込んで、ジョットはフィオの後ろに乗り込む。細い腕が腰にしっかり掴まったことを確認してから、フィオは心で合図を送った。


『いこう』


 身を起こして、シャルルは意気よく吠える。黒い翼が広がるにつれ、風がヒュルヒュルと集まっていく。フィオは太ももの下で、ドラゴンの筋肉が隆起していくのを感じた。

 風の音が高まる。肉体が鋼のように研ぎ澄まされていく。

 一拍の緊張のあと、シャルルは地面を蹴りつけ翼で空を叩き、一気に飛翔した。


「うわっ。わわっ」


 軽く飛び上がっただけだが、ジョットが慌てた声を上げた。見ると風に踊る長い前髪に、目や鼻をくすぐられている。フィオは小さく笑って、腰のポーチからヘアピンを出した。


「ドラゴンに乗る時は、髪をまとめたほうがいいよ」


 こんな風にね、とみつあみのおさげ髪を軽く振ってみせる。フィオはひょいと後ろ向きになって、前髪を押さえるジョットをうかがった。


「私がまとめてもいい?」

「あ、はい」


 ランタンを持ってもらって、フィオはヘアピンを口にくわえる。ジョットは照れくさそうに目を伏せた。

 手ぐしで少年の髪を軽く整えていく。子ネコのようにやわらかな髪をく度に、ジョットのまぶたが震えた。

 半分に分けた髪を後ろへなでつけ、フィオはヘアピンを交差させて留める。ピンクと緑の蛍光色は、男の子には派手だろうか。

 でも思っていたよりずっと似合っている。瞳と額がよく見えて、年相応の無邪気さが際立っていた。


「よし。できた!」

「あの、どうですか?」

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