32 旅立ち①

 ティアとジョット宛ての手紙と鍵は、ベッドに置いた。なにも言わず旅立つフィオを、ティアはまた怒るかもしれない。

 扉の向こうからは、まだ宴に興じる人々の声が聞こえていた。


「……ありがとう、ギルバート。ごめんなさい」


 階下の窓から煌々こうこうともれ出る明かり。それを避けるようにして、フィオはシャルルに跨がり宿をあとにした。


「このへんでいいかな。シャルル、止まって」


 村外れのシェルフ川ほとりで、フィオはいったん地上に下りた。シャルルの旅の装備がまだできていない。

 荷造りの時から相棒はそわそわしていたが、ハーネスを取り出すとついに宙返りをはじめた。呼び戻すのに苦労して、なんとか装着する。

 次は荷物の固定だ。トランクをシャルルの尻のほうに乗せて、網とベルトで体に巻きつけていく。早く早く、としっぽで叩いてくるお陰で、こちらもいつもより手間取った。


「あの子はちゃんと帰れるかな」


 夜間飛行用のランタンを取り出して、中の発光石をつつく。振動に呼応し、石は蓄えた自然エネルギーマナを緑の光として放った。

 気がかりなのはジョットだ。帰りのドラゴン便代でも出してやれたらよかったが、あいにく手持ちがない。せめてもの思いを込め、少年の旅の無事を祈る。


「会いにきてくれてありがとう。もしロードスターになれた時は、また」


 そっとつぶやいて、今一度ファース村を振り返った。すると青い光の玉が、こちらにぴょんぴょん駆けてくる。

 こんな夜更けに誰だろう。

 飛行帽を深くかぶり直し警戒したフィオだが、近づく人物の顔を見て目を疑った。


「なんで……」

「勝手にいかないでって言ったのに。フィオさんはほんと、約束守ってくれませんね」


 紺色のコートを羽織り、大きなかばんを下げたジョットだった。荷物のふくらみ具合からして、しっかりと旅支度を整えている。

 フィオはまだ半分夢を見ている心地だった。


「どうして私が行くってわかったの」

「シャルルです。ずっとはしゃいでましたから、出かけるんだなって」


 シャルルを見ると、首をこてんと倒した。相棒も不思議がっている。どうもジョットの超能力は、伝える意思がなくても読み取られるようだ。

 ジョットはずいと詰め寄って、フィオを見上げた。


「出るんですよね、ロードスター杯」

「シャルルが戻ってきてくれたんだ。これ以上留まる理由はないよ」

「レースはヒュゼッペからですか? それともエルドラド?」

「一番相性いいのが故郷だもの。出ない手はない。アンダルトに戻ってすぐ練習をはじめるつもりだよ」


 やった! と言ってジョットは拳を握る。誕生日の贈りものをもらったような笑顔は、フィオの心もあたためた。


「ここまで来たならしょうがない。ノルモ入江に寄ってもいいよ」

「え。そっちは南東ですよ? アンダルトは北ですよね」

「だってあなた、そこから船乗って帰るんでしょ。送ってあげる」


 ノルモ入江とアンダルトは、ほぼ真逆方向と言ってもいい。かなり遠回りになるが、未成年を置いていくよりはましだ。


「だったら俺をアンダルトまで送ってください! というかそのつもりで追いかけてきました!」

「はあ!?」


 これにはフィオも開いた口が塞がらなくなった。いい笑顔の少年が、なにを考えているのかわからない。いや、なにも考えていないのかもしれない。

 にわかに疲れを感じて、フィオは米神を押さえた。


「えーと。アンダルトに行ってなにする気なのかな」

「決まってます! フィオさんのレースを観るんです!」

「それだけ?」

「それだけってなんですか。フィオさんのレースを間近で観るのは、俺の夢のひとつです!」

「あ、もしかしてアンダルトに親戚がいて、お世話になる予定とか?」

「親戚も知り合いもいません」

「……滞在費と帰りの旅費はあるんでしょうね」

「ご心配なく! 向こうで稼ぎますから。郵便屋とか配達屋に頼むと、ついでに乗せてくれるんですよ。だから船代さえ残ればバッチリです!」

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