27 相棒②

 シャルルの青い目が見えたのは一瞬だったけれど、確かにフィオを映していた。丸くて大きくて、おだやかな瞳孔の真ん中に。


「ずっと自分を責めてたんですよ。あの事故から」


 フィオは息を詰め、口を押さえる。半年前の転落事故の瞬間は、今でも鮮明に覚えていた。


『ねえー。お腹すいたあ。シャルルもごはん食べたいって』


 ロードスター杯に向けて、フィオとキースは故郷ヒュゼッペに帰ってきていた。首都アンダルト郊外で、朝から練習していたのだ。

 短距離高速飛行、旋回飛行。ナビのキースが組んだ目標を順調にこなしていた。


『はいはい。お前の腹時計は正確だな。昼のあとは障害物回避飛行だぞ』

『えーっ。射撃は?』

『本当に好きだな。今日は射撃場の予約が取れなかったんだ。我慢しろ』


 伝心石でんしんせきから流れるキースの声に、気を取られていた。昼休憩に浮かれ、集中を切っていた。

 だからなのか。はっきりとした原因は、フィオにもわからない。

 突然、ザアッと激しい砂嵐が心に吹き荒れた。直後にシャルルとの繋がりが断絶し、跨がった黒い体躯が深く沈み込む。かと思えば、シャルルは垂直に体を反らし、聞いたこともないおどろおどろしい声で吠えた。

 フィオの姿勢は崩れ、ハンドルに辛うじてしがみついていた。しかしシャルルは構わず、狂ったように飛びはじめる。

 何度も呼びかけた。声で。心で。

 けれどシャルルは、羽音とうなり声で掻き消した。

 そしてついにハンドルから手が離れ、フィオの体は宙に放り出された。地面に着くまでの空白の時間は、長く感じた。切羽詰まったキースの声が、ずっと響いていた。

 けれど、叩きつけられる間際に見たシャルルは、必死にフィオを追いかけていたような気がする。


「ずっと、自分のせいだと思っていたの……? 私を振り落としてしまったって……?」


 翼に指を這わせると、シャルルは顔を覗かせた。フィオから目を逸らしたまま、か細く鳴く。

 込み上げてくる感情を抑えようと、フィオは唇を噛んだ。しかしそれは涙となって、止める間もなくあふれ出る。


「私、バカだっ。すごくバカだ……!」


 自分を罵り、頭を振るフィオの目から、はらはらと涙が散る。

 足を故障して、苛立ちと焦燥に捕らわれていた。復帰に躍起になるあまり、自分のことしか考えられなくなっていた。フィオが抱く感情は、シャルルにも流れ込んでいくというのに、そんなことも忘れてしまっていた。

 フィオは胸元の服をくしゃくしゃに掴む。


「シャルルの心はずっとここにあったのに! 答えは私の中にあったのに……! 目を背けていたのは、私のほうだったんだ……。ごめんね、シャルル。シャルルは悪くない。あなたを憎んだことなんて一度もない……!」


 シャルルはためらいがちに小さく鳴いた。深い迷いを感じる。それだけ、フィオから流れてくる感情に苛まれたのだろう。

 涙をグッと拭い、フィオは居住まいを正した。怯える青い目とまっすぐに向き合う。


「いい大人のくせして、心が未熟じゃどうしようもないね。足の治りも中途半端だしさ」


 足のつけ根に触れると、シャルルはくうくう鳴いた。かすかに鼻を動かしている。相手を労るドラゴンの声と仕草。そのやさしさにまた、鼻がつんとうずく。


「シャルルがいないと、私はもっとダメだ。ただのデブなオバサンだよ。だけどシャルルと飛んでいる時は輝ける。あなたといっしょに風になることが、私の喜びで希望で、生きる意味なの。はじめて空を飛んだあの日から!」


 笑顔を作ろうとして失敗し、頬が震える。にわかに逃げ出したくなるひざに、フィオは爪を立てた。


「だからもう一度だけ……っ、私をあなたの相棒に選んでくれませんか……!?」


 その瞬間、パッと開いた黒翼が風を喚び、フィオの髪を揺らした。するりと身を寄せたシャルルは、尾の先までフィオに巻きつけて囲い込む。陽光に青いクリスタルの角を透かし照らし、頭を天へ衝き上げた。

 肺いっぱいに詰め込んだ空気が弾けて、咆哮がとどろく。

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