25 急変③

 すれ違い様、フィオはディックの腕を掴んだ。にわかに力の抜けた幼い体を、夢中で引き寄せる。

 その時、耳元を生あたたかい風がかすめた。ハッと息を呑んだフィオの目の前に、ボア・ファングの牙が迫る。


「フィオさん!」


 ジョットの叫び声が聞こえた時には、牙が服を突き破り、引きずられ、地面に叩き落とされていた。

 とっさにかばったディックから、うめき声がこぼれる。しかし怪我を確認する時間はない。キャベツを踏みにじり、頭を大きく掲げたグルトンが猛追してくる。

 フィオはディックを抱え、横に転がった。風を切る音とともに振り下ろされた牙は、地響きを起こして大地を震わせる。

 その震動を胸に感じながら、フィオはすぐさま起き上がり、駆け出した。


「あっ、ぐう……!」


 ところが、今までに感じたことのない激痛が足を襲った。ずっと不調だった大腿骨だいたいこつ部だ。ナイフで刺されたかのような痛みに、フィオは堪らず転倒する。


「フィオ!?」


 ディックの泣きそうな声がすがりつく。牙に突き上げられた土が、ぱらぱらと頬に当たった。

 来る。目を起こせば、陽炎かげろうのごとく怒りをまとったグルトンが向かってくる。


「逃げなさい、ディック」


 フィオは腹を決め、ディックを後ろへ追いやった。座ったままライフルを構える。

 それを見て目の色を変えたグルトンが、猛々しい咆哮を上げて突進してきた。


「逃げてくださいフィオさん!」

「フィオ……!」


 ふたつの守るべき幼い命が、フィオの心にをつける。それは、突然飛んできた想いと重なり、ひとつとなって強い輝きを放つ。


「え……」


 フィオは空を見た。蒼天そうてんを裂き、風を従え、青い煌めきをまとい、黒い翼が急降下してくる。


「シャルルッ!」


 土を弾き上げて、鉱物科ナイト・センテリュオがフィオの目の前に降臨した。シャルルは翼を広げ、激しい咆哮を浴びせかける。

 空気をビリビリと揺るがす気迫に、グルトンは地面を掻いてあとずさった。

 ブワリとふくらむシャルルの闘気が、フィオにも伝播でんぱする。次の瞬間、シャルルは目にも留まらぬ速さでグルトンに噛みついた。

 硬い岩石同士が衝突したかのような打撃音に、周りの相棒ドラゴンたちもざわめく。


「いけないっ。シャルルとグルトンが怪我をする……!」


 フィオは手をつき、なんとか立ち上がる。ライフルを構えながら呼吸を鎮め、おそるおそる自身の内側へ意識を伸ばした。

 真ん中で脈打つ鼓動。その中にゴオゴオと渦巻く風がいる。フィオと繋がるシャルルの魂だ。もうずっと、こんな砂嵐が吹きつづけている。


「シャルル。シャルル。お願い、私に気づいて。私をまた、受け入れて……」


 その時、風向きが変わった。砂嵐がほどけて、ヒュルヒュルと弦のように美しい音を奏でる。それはシャルルの角笛の音色と似ていた。

 雲が割れ、青空を開き、光が差していく。ほのかにあたたかいシャルルの心を感じながら、フィオはライフルを握り直した。


「撃つよ、シャルル。合図をちょうだい」


 低い姿勢から胸部に潜り込むグルトンを、シャルルは前脚で押さえつける。もがき、振り回される牙を噛みついて封じた。

 直後、シャルルの尾が地面をサッとなでる。フィオは瞬時に引鉄に指をかけ、そのまま迷わず発砲した。

 放たれた弾丸の先で、シャルルはまだグルトンともつれ合っていた。被弾は免れない。そう思われた時、黒い翼が広がってあっという間に空へ飛び上がる。

 風圧にグルトンが目を細めたと同時に、鎮静弾は足元で破裂した。


「もう一発!」


 すかさず次弾を込め、フィオは煙幕の中にグルトンを閉じ込める。そしてシャルルの角笛を手に取り、風にさらした。

 あたりに弦音つるねが響く。


「グルトン、戻ってきて」


 気づけば、笛の音が重なっていた。目を向けると、農夫たちがそれぞれ相棒ドラゴンの角笛を手にしている。フィオは彼らとうなずき合い、慎重にグルトンを囲んだ。

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