23 急変①

 獣は嗅ぎ分ける。この中でどの肉が一番弱く、仕留めやすいかを。

 片手を突き出し牽制けんせいしながら、フィオは相手を刺激しないよう目を下げた。


「どうしたの、グルトン。ブラウンさんに引きずられて、気が立っちゃったかな」


 それとは違う、刺すような空気を感じながら、フィオはわざと軽い口調を選ぶ。

 今一番危険なのは恐慌状態に陥ることだ。グルトンの急変がなんであるか、わからないうちは下手に動かないほうがいい。

 フィオは後ろ手に探り、アンの体をやんわりとエドワードのほうへ押した。少女が下がると、縦長の瞳孔もそれを追う。フィオはドラゴンの視線上に入り、注意を自分に引きつける。


「グ、グルトンお前、どうしちまったんだ……」

「ブラウンさん、静かに。ゆっくり下がって、距離を取ってください。宿のほうへ」


 うろたえるエドワードをたしなめる。しかし彼はフィオの声どころか、姿も見えていないようだった。大きく見開いた目に相棒ドラゴンだけを映し、口から早い呼吸を吐き出す。


「なんで、どうして、お前の心がわからない……?」


 その言葉に、フィオの中でひとつの仮説が立った時、消え入りそうな声がした。


「父ちゃん……どうしたらいい……」


 ディックだ。しかしそれはグルトンに存在を知らしめる合図ともなった。

 次の瞬間、ボア・ファングは狂ったように飛び跳ねはじめた。背中にいる獲物を振り落とそうと、頭を無闇に振り回す。

 荷車は激しい悲鳴を上げ、キャベツは地面へ雪崩れ落ちた。

 大玉の野菜をいとも容易く踏み砕き、牙で荷車を突き上げたドラゴンから、フィオはエドワードとアン、ジョットを宿へ避難させることしかできなかった。


「なにがあったの!?」


 ただならぬ物音を聞きつけて、ティアが駆けてくる。


「わからない! わからないっ、クソ! 俺の息子とドラゴンが……!」


 アンをティアに託し、戻ろうとするエドワードを、フィオはライフルで押し留める。扉の隙間からディックとグルトンの様子を探った。


「父ちゃあああんっ!」


 ディックはまだ耐えていた。しかし我を失い、走り出したグルトンから降りられず、荷車の残骸ざんがいといっしょに連れられていく。


「ジョット!」


 ボア・ファングの向かう先を目に焼きつけながら、フィオはライフルのストラップを肩にかけた。


「サイドバッグわかるでしょ。ライダーが使う、黒の」

「は、はい!」

「それ私の部屋から持ってきて。ティア、レフィナを借りる。彼女に伝えて」


 二階へ走るジョットを横目に捉えつつ、フィオはティアにも指示を飛ばす。


「それは構わないけど、あなたどうするつもりなの」

「グルトンを追う。早くしないとディックの体力がもたない。ブラウンさん、あなたは役場へ行って緊急警報と竜騎士への要請を!」


 言うや否や、フィオは外へ駆け出した。竜舎へ向かうと、レフィナが自らハーネスをくわえて出てくる。


「ありがとう。あなたが人見知りしない子でよかった」


 レフィナは得意気にひとつ鳴いた。

 ドラゴンに騎乗する際は、胸部から背中半分を覆うハーネスを装着する。そしてライダーは背中のハンドルに掴まるのだが、方向などの指示はドラゴンと繋がる心でおこなっていた。

 しかし、レフィナの相棒ではないフィオには、ハミつきの手綱が必要となる。


「フィオさん! 持ってきました!」


 ちょうどよくジョットがサイドバッグを持ってきた。それを太ももに巻きつけて、フィオはレフィナに跨がる。


「俺も行きます!」

「ダメ。危ないからあなたはアンといっしょにいてあげて」


 手綱を軽く振ってレフィナを進める。しかしジョットが前に立ちはだかった。


「危ないからです! あなたとなら地獄でもどこへでもいくって言った」

「今はそんな冗談につき合ってる場合じゃない!」

「冗談じゃない! あなたに出会わなければ、俺の命は九年前のあの日に消えてたんだ!」

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