18 強迫観念②

「フィオさん!? フィオさんしっかりしてください! 水から上がりましょう! 連れていきますからね!」

「いや、だ。シャルルに、会って……それで、キースを殴りにい、って……レースに、でるの……」

「なに言ってんだよ。その前にあなたが死んじまうだろ……!」


 ジョットはフィオの服を引っ張り、川岸を目指した。フィオはうわごとのようにシャルルとキースの名前をくり返すばかりで、立ち上がろうとしない。

 寒さで力が入らないんだ。ジョットは自分にそう言い聞かせた。


「フィオさん、諦めが悪いのは最高にかっこいいですけど、間違った努力の仕方は二度としないでくださいね! 次やったら助けませんよ!」


 川底の石に足が取られる度、押し流されて岸から遠ざかる。まっすぐ進むことができず、すぐそこにある岸が果てしなく感じた。

 ジョットはひざをつきそうになる心を、フィオにかける言葉で奮い起こす。


「戻ったらお説教ですからね! ティアさんとギルバートさんからこってり絞られればいいんだ。俺に泣きついてもダメですよ、フィオさん。……フィオさん聞いてます?」


 ハッと気づいて、ジョットは振り返る。フィオのうわごとが聞こえてこない。手足は流れるままに投げ出され、落ちた頭はぴくりとも動かなくなっていた。


「フィオさっ、うあ!?」


 動揺した拍子に足を滑らせ、ジョットの視界は気泡に白く塗り潰される。

 水を飲んでしまった。慌てて水面に上がろうとするが、いくらも浮いていられない。体が押し流される感触があった。

 まずい。

 命の危機に体は酸素を求めて、また水を飲んでしまう。頭の中までもが水流に呑まれる中、それでもジョットは掴んだフィオの服を必死に握り締めていた。


「フィオ! ぼうず!」


 その時、腹がグッと押されて体が持ち上がる。あっという間に離れていく川を見下ろしながら、ジョットは激しく咳き込んだ。

 力強い羽ばたきの音が聞こえる。横には柳のような体毛に埋もれたフィオがいた。目を上に移すと、縦巻きの大きな角とギルバートの顔が見える。

 そこでジョットの意識はぷつりと切れた。



 * * *



 目覚めた場所は、自室ではなかった。フィオは見覚えのない天井に静かに驚く。あたりを見回してもっと驚いた。


「え、なにこの状況」


 竜脚科コルヌ・レジーナがぴたりと身を寄せて、寝そべっていた。フィオの声に反応して、優雅な角の生えた頭が起きる。

 花輪が品よく揺れた。この子はティアの相棒ドラゴン、レフィナだ。


「ここは宿の隣の竜舎ですよ。ドラゴンの体温で温めたほうが早いって、ギルバートさんとティアさんがあなたを運んだんです」


 足元から声がして目を向けると、ジョットがいた。広間から持ち出してきたらしいイスに座って、フィオを見下ろしている。もう一脚置かれたイスには、食器が乗っていた。

 ここで食事を? ずっといたの?

 ぽかんとするフィオに、ジョットは口を開きかけた。しかしすぐに閉じて、目を伏せる。長いまつ毛の間からにじむ光彩には、熱が帯びているように見えた。


「アヴエロ。ギルバートさんを呼んできて」


 レフィナとは反対隣にいたアヴエロが、素直に返事する。長い体毛をさわさわと鳴らしながら、のっそり外へ出ていった。

 すると入れ替わるようにジョットが横へ来る。フィオはレフィナのほうへ寝返りを打った。


「あなた、まだいるんだね」

「え」

「私どれくらい寝てたの」

「一日半くらいですけど」

「そう。宿代ももったいないし、もう帰ったら?」

「フィオさん? なんでそんなこと言うんですか」


 少年の近づく気配がして、フィオは深く毛布をかぶる。


「よくわかったでしょ。今の私がどれだけ情けないか。応援する魅力も価値もない。だからもう、コリンズ夫妻のところに帰りなよ」


 滞在先をつきとめてきたファンや新聞記者の顔がちらつく。最初はみんな目を輝かせた。フィオだと気づいた瞬間のジョットのように。

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