17 強迫観念①

 川ならファース村に入る時に渡っている。その手前には確かに森が広がっていた。


「絶対そこだ。だってフィオさんはシャルルに会いにいくって言ったんだ! 諦めてなんかない。あの人は弱くない!」


 ずっと遠くから応援してきたフィオは、ジョットの実父に立ち向かってくれたフィオは、まっすぐで力にあふれていた。

 怖がっていた自分を認め、ジョットに礼を言った彼女は今だって、やさしくて強い。


「フィオさあーん! フィオさんどこですかあー!」


 畑に挟まれた一本道を抜けて、ジョットは川に出た。雪解け水が流れ込んでいるのか、勢いのいい水流に負けず声を張る。

 石橋を渡りながら見た森はなかなか広そうで、思わず舌打ちした。除け者にしようとしたギルバートに意地を張らず、連れてくるべきだったかもしれない。

 都合よく追いかけてきてる、なんてことはないよな。

 振り返って、メガ・ホルンに跨がる医者が見えないか、確認しようとした時だった。視界の端に白い影を捉える。目を疑うような光景に、ジョットはしばしそれがなにか理解できなかった。


「フィ、オさん……?」


 川の中でうずくまる人がいた。金の長い髪を流れにさらし、薄い夜着を肩まで濡らしてうつむいている。


「フィオさん!」


 いくら呼んでも彼女は顔を上げなかった。ジョットはもつれる足で橋を取って返す。村側の岸から水に飛び込んだが、その冷たさに体が震えた。

 春といっても気温は十五度前後。水温は間違いなくそれを下回ってくる。すぐに冷たいを通り越して痛いと感じはじめた水に、ジョットは早まる呼吸を抑えられない。

 何分だ。フィオさんはどれくらい水に浸かっている?


「フィオさんっ、ダメだ! すぐに上がってください! 凍えちゃいます……!」


 横から叩きつける水流が、ジョットの歩みを阻んだ。

 フィオはやっぱり返事をしない。その体力も残っていないのかもしれない。ジョットは夢中で水を掻き分けた。濡れそぼった後ろ姿が徐々に近づく。


「フィオさん! フィオさん、ねえ! 許さないですよこんなこと! こんなっ、ひとりで勝手に……! 約束したじゃないですか。俺もいっしょにいくって言っただろ!」


 水にさらわれそうになりながら伸ばした手は、力なく下がった肩に届いた。安堵の息をついたのも束の間、ジョットの手は思わぬ力で振り払われる。


「邪魔しないでよ。こうしてれば、シャルルが来るんだ」

「え」

「相棒の人間が危険にひんすれば、ドラゴンは必ず駆けつける。だから私はっ、シャルルを脅迫してるの! いつまでも隠れていたら私は死ぬぞって!」

「は、ははは……」


 緊張の糸が一気にほつれて、ジョットの口からは笑みがこぼれた。

 とてもフィオらしいと思った。この人は夢のためなら、どんな努力も危険もいとわない。まっすぐにあの日の一番星を見ている。まるで彼女自身が北極星であるかのように。


「なのに、シャルルは来、ない」

「フィオさん!?」


 フィオの体がぐらついて、ジョットはとっさに支える。川底に手をつき、覗き込んだフィオの顔は青ざめていた。唇は紫に変色し、全身が小刻みに震えはじめる。


「そこに、いる。あの木のうしろ……いる、のに……」


 血の気の失せた指先が森を指す。ジョットは目をまるめた。木立の間で黒いものがうごめいている。その瞬間、全身の産毛が逆立つような思いに駆られたのは、本能としか言いようがない。

 今すぐにでも、お前ののどを噛み切ってやれる。

 そんな警告が黒い獣から向けられていた。相棒のフィオに、見慣れない人物が近づいた怒りだと思った。

 しかしジョットは、シャルルの気配に恐れも混じっていることに気づく。


「シャルルが怖がってる? どうして……。あ!?」


 突然、フィオの体が傾いた。水面に沈みそうになるところを、すんでのところで引き上げる。だがフィオは、目を閉じてぐったりとしていた。胸元の服を握る手の震えさえ弱々しい。

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