16 飛べないドラゴン

 今のドラゴンレース界を牽引する双璧に、複雑な感情を抱きながら、羅列する選手名をなぞっていく。

 その中にあり得ない名前を見つけ、フィオは息を呑んだ。


「キース、カーター……?」


 それは兄キースと同じ名前だった。

 キースは長年、フィオと組んできたナビだ。それは今も変わらない。ヒュゼッペ国の首都アンダルトで、資金調達をしながらフィオの帰りを待ってくれているはずだった。

 同姓同名の別人? フィオは疑った。しかしナビと騎乗ドラゴンの名前を見て目を剥く。


「ナビはヴィオラ・エマーソン……。ドラゴンは鉱物科シュタール・イージスのジェネラス……」


 フィオもよく知る幼なじみと、兄のドラゴンの名前だ。もう否定のしようもない。キースもフィオを見限り、自身がライダーとなって栄光を掴むことに決めたのだ。

 震える手から新聞がバサリと落ちた。


「あ! デブが出てきてるぞ!」

「ボア・ファングのボスだー!」


 その声は、近所の農家エドワード・ブラウンの子ども、ディックとアンのものだった。兄妹きょうだいは少し離れたところで、フィオを見てにやにや笑っている。


「アン。ドラゴンのボスはロワって言うんだぞ」

「えー。じゃあロワ・ボア?」


 兄が耳打ちすると、妹はかん高い笑い声を上げて跳ねた。


「ローワ、デブ!」

「ローワ、デブ!」

「ローワ、デブ!」


 無邪気な瞳を輝かせ、楽しげにまぬけの名前を口ずさむ。宿の壁に反響したその声は、かすみがかった青空へ吸い込まれて、もう返ってくることはない。

 遥かな空の下、抱えた体がどうしようもなく重くて、フィオは鼻で笑った。


「そうだね。私はデブでなまけ者で、ボア・ファングに例えるのも失礼なくらい――」


 せつな過った、もうひとりの父の顔をにらみ、吐きかける。


「いらない存在なんでしょ」


 子どもたちがビクリと震えたことにも気づかず、フィオは歩き出した。あとから汗だくになったエドワードが追ってきて、子どもの代わりに頭を下げる。

 しかしフィオは取り合わなかった。いや、見えていなかった。村外れにつづく一本道をスリッパのまま、夜着の裾を揺らして歩きつづけた。



 * * *



「んあああっ! フィオさんすみません! 寝坊しましたあああ!」


 ジョットは寝癖がついたまま、上着を羽織りながら階段を駆け下りる。しかし広間に不機嫌なあの人の姿はなかった。それどころか、室内はやけにシンとしている。


「あれ。フィオさん? ティアさん?」


 台所を見てみたが、女主人もいない。調理台に放置された食材や器具だけが、先ほどまで人がいたことを物語っている。


「ギル!」


 その時小窓からティアの声がした。どうやら外にいるらしい。心なしか声色に焦りを感じて、ジョットは玄関扉へ走った。


「エドのやつから聞いた。フィオの様子がおかしかったんだって?」

「そうなの。新聞を取りにいってくれたんだけど、なかなか戻ってこなくて。様子を見にきてみたら、これだけ落ちてたの」


 扉から覗いてみれば、ギルバートとティアが話していた。ティアから乱れた新聞を受け取り、ギルバートは顔をしかめる。


「ドラゴニア新聞。今朝はロードスター杯の出場選手名が載っていたな」

「ええ。落ち込んだと思うわ。口には出さないけど、いつも自分を責めてる。でもいなくなるなんてっ。まだ寒いのにあの子、夜着のまま……!」

「いなくなった? フィオさんがいなくなったのか!?」


 ジョットは目を見開き、ティアとギルバートの間に飛び出した。しかし大人ふたりは口を閉ざす。子どもを関わらせないつもりだと、すぐに察した。


「とりあえずティアはここでフィオの帰りを待て。あいつもいい大人だ。必要以上に慌てるんじゃないぞ。俺とアヴエロで村をひと回りしてくる。ぼうずも、おい!」


 ギルバートの指示を聞かず、ジョットは走り出した。フィオが向かう場所にひとつだけ心当たりがある。シャルルのいる森だ。

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