12 悲しい食卓①




「ん……あれ。いいにおい」


 昼になってジョットが目を覚ました。気づいたティアが「スープできてるわよ」と声をかける。

 しかしこれに、ジョットよりも早く飛びついたのが、テーブルの周りを永遠と歩かされていたフィオだった。


「やった! 朝の分もまとめて食べるー!」

「あ? 悪い、聞こえなかった。もう一回言ってくれるか」

「ははは……。け、健康のために半分にしようって言ったんですよ、先生」


 ま、ギルバートが帰ったらおかわりすればいいもんね。


「ギル。せっかくだからあなたも食べていきなさいよ」

「ティアさん!?」

「ああ。そのつもりで往診を午前にした」


 だがフィオの思惑は、村一気立てのいい女主人と、すべてを見透かす医者によって、あえなく阻止される。腹の虫の音とともに崩れ折れるフィオに、ジョットは苦笑いをこぼした。


「んまい! このチキンスープすごくおいしいです! キャベツもタマネギもめちゃくちゃ甘くて、癖になりそう!」

「ありがとう。おかわりたくさんあるから、遠慮なく食べてね」


 はい! と元気よくスープをかき込むジョットと、にこにこ見守るティアは、とても微笑ましい。ふたりの笑顔が料理に高次元の彩りを添える。

 斜め向かい席から医者に監視されていたとしても、香り、味、見た目、雰囲気、どれも申し分ない食卓だ。

 思わせ振りに大きいスープ皿に、スープが半分しか注がれていないことを除けば。


「私は悲しい……」

「そのデカ皿に半分も入ってれば十分だ」


 恨みがましくスープを掬うフィオの前で、ギルバートはトーストにベーコンと目玉焼きを乗せてかぶりつく。

 そう、それはフィオの朝食だったものだ。ティアが取っておいてくれたものを、この医者に奪われた。


「減量に炭水化物は厳禁。そのへんのことは、俺よりレースライダーのお前さんのほうがよく知ってるだろ」


 レースライダーの矜持きょうじをつつかれては、二の句が告げない。

 食べることは昔から好きだったが、ロードスター杯に出場していた間は、平気でサラダやスープで済ませていた。自分のことなのに信じられない。

 一本の道を疑いもなく走りつづけていた私は、どこへ行ったんだろう。


「俺は今のフィオさんもすごく魅力的だと思います。でもシャルルの負担が増えるとレースで不利ですから、我慢しましょ。俺も半分にします!」


 ジョットがスプーンを置くのを見て、フィオは思考を振り払う。惜しむのをやめて、大きな口でスープを次々と飲んだ。


「あなたは食べなきゃダメでしょ。おかわりもするの! それが作ってくれたティアへの礼儀!」

「あ、はい。そんな礼儀があるんですね!」

「それはそいつの勝手な持論だ。どうりで太るわけだ。ぼうず、お前さんは食え。肥えろ。体つきが少し細いぞ」

「差別だ! さべーつ!」


 我慢している人の目の前で、食を勧めはじめたギルバートに、フィオはテーブルを叩きつけて抗議する。すると借金取り風の医者は、なみなみと注いだスープを皿から直接あおってみせた。

 そのかたわらで、ジョットは素直にスープを飲みつづけている。ついに堪えきれなくなったティアの笑い声が、フィオとギルバートの言い争いに終止符を打った。


「それで。その子はフィオのお友だちってことでいいのかしら?」


 ジョットのおかわりを持ってきたティアが、腰かけながら切り出してくる。フィオはからになった皿を前に頬杖をついた。


「赤の他人です」

「フィオさん、それはもう通用しませんよ」


 すかさずジョットが反論してくる。まだ幼さが残る頬は、うれしそうにほころんでいた。


「さっき言ったでしょ。『まだ触られるの苦手なんだ』って。それって、俺のこと覚えててくれた証拠ですよね」

「耳聡い……」


 ため息といっしょにこぼした言葉をどう受け取ったのか、ジョットはくすくすと笑った。

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