11 男と女の論争

「でも……」

「あの子は私が看てるから、だいじょうぶよ」


 毛布を抱えてきたティアが、やさしく微笑む。ジョットに毛布をかけてやる手つきは慣れたもので、枕まで持ってきた彼女は本当によく気が利いた。

 彼女に任せておけば心配はない。いや、のろまな自分にできることは、なにもなかった。


「六十五キロ。なんで前回より二キロも増えているんだ?」

「さ、さあ。ナンデデショウネ……」


 部屋に入るなり、体重計に乗せられて現実を突きつけられる。フィオは思わず目を背けた。ああ、春を告げる小鳥のさえずりが美しいですね。


「俺がなんのために体重計を置いていったと思ってる」

「毎日計るためです……」

「計ったんだよな? 毎日そこに乗って、増えていく数字を見ていたよな?」

「す、数字が怖くて三食おやつ昼寝つき生活をやってられるかあ!」

「バカか」


 頭をぽかりとやられ、体重計の針がガチャンと揺れた。


「ひどい! 太ってることは悪じゃない! 個性だ! 自由だ! この横暴は肥満への偏見と価値観の押しつけであり、男と女のわかり合えない溝を深める論争の火種に――」

「言い訳だけは達者になったな。だがお前さんに関しては、体重増加は確実な足の負担に繋がる完全なる巨悪だ。太る自由は結構だが、その代わりに歩く自由を捨てるのはバカの中のバカとしか言いようがない。まあ、俺は痛くもかゆくもないから勝手にしろじゃあな」

「すみませんでしたーっ!」


 ひるがえった白衣に全力で飛びつく。

 こんなやり取りは今日がはじめてではなかった。怒られるとわかっていても、苦しい言い訳をする自分がみじめでも、フィオは食べずにいられない。

 その理由は主治医もよくわかっていた。


「お前さんが食べ過ぎるのはストレスだ。食べることによって得られる一時的な快楽に、依存しているんだ。まずはそれを自覚すること。そして意識を他に向けることだ。だから散歩をしろと言っている。骨折した足のいい訓練にもなる。あとは趣味に没頭するのもいい」

「趣味……。ドラゴンレース」


 フィオがそうつぶやいたとたん、ギルバートは明らかにしまったという顔をした。


「それはダメだ」

「なんで。ちょっと乗るだけだよ」

「ドラゴンの騎乗は、体を支えるために足を使う。今はまだそんな負担をかけていい段階じゃない」

「どうして。ギルバート、足は治ったって言ったでしょ。それなのになんで、なんでまだ痛みが引かないの!」


 声を荒げるフィオの肩を叩き、ギルバートはベッドに座るよううながした。スプリングがギシリとフィオを受けとめる。

 やわらかいベッドはあまり好きじゃない。このままずぶずぶと沈み込んで、二度と立ち上がれなくなりそうだ。

 ギルバートは床にひざをつき、フィオと視線を合わせる。


「確かに骨折は完治している。だが、フィオがまだ痛いと思い込んでいるんだ。無意識にかばって歩くから、痛みが出ている」


 そこまで言ってギルバートは室内を見回した。端に追いやられた靴を見つけると、大儀そうに拾ってくる。フィオの足からさっさとスリッパを脱がせて、主治医は靴を置いた。


「歩行訓練をするぞ。靴をはけ」

「……ちゃんとした歩き方を思い出せば、痛みはなくなる?」

「ああ」

「そしたら、ドラゴンに乗っていいんでしょ」

「徐々にな」


 靴ひもをゆるめながら、ギルバートはうなずいた。

 フィオは医者のつむじをじっと見つめていた。深く息を吸って、ゆっくりと吐き出し、数秒間呼吸を止める。小鳥のさえずりもやんで、あたりには静寂が落ちた。


「わかった。痛みが取れたら、私はシャルルを迎えにいく」


 用意された靴に足を突っ込んで、手早くひもを結んでいく。そんなフィオをギルバートは黙って見ていた。

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