第1章 ライダーとドラゴン

08 なまけ者のボア・ファング

 転落事故から六ヶ月後。


「あ、ボア・ファングだー! デブなボア・ファングが寝てるぞ!」

「うっさいなこのクソガキ! 私はぽっちゃり系だって言ってんでしょ!」

「わああ! ボアが吠えたぞ! 逃げろー!」

「にげろー!」


 ろくに扉も閉めないで、きゃたきゃたと軽やかな足音がふたつ駆けていく。フィオは何脚ものイスを陣取って寝そべりながら、ふんすと息をついた。


「本当にエドワードんところの悪ガキ兄妹きょうだいはムカつく。こっちは怪我人だっての」

「またディックとアンね。フィオに構ってもらいたいんでしょ」


 台所から現れた女性に、フィオは胡乱うろんな目を向けた。

 彼女はここ、ヒュゼッペ国の南東部に位置するファース村で、唯一の宿〈どろんこブーツ亭〉を営む女主人ティア・シャノンだ。村医者の元で足の治療を受けるフィオは、もう半年近くティアの世話になっている。

 赤茶色の長い髪をひとつにまとめ、エプロンをつけたティアに、フィオは軽く鼻を鳴らした。


「ふん。この前おやつの時に、のろまと遊んでもおもしろくないって言ってたけど」

「あれま。聞こえちゃってたか」

「ティア!」


 なぐさめのひとつくらいあっていいだろう。フィオはテーブルを叩きつけた勢いで起き上がり、抗議の視線を送る。

 ところが手ぶらの女主人を見て、拍子抜けした。台所から来たものだから、てっきり朝食を持ってきたのだと思っていた。


「ごはんは?」

「働かざる者食うべからず! 新聞取ってきてくれたら、用意してあげるよ」

「えー! ティアまで私をボア・ファング扱いする気!? 足が痛いんだってば」

「ボア・ファングだって毎日キャベツの収穫に勤しんでますよ、なまけ者さん。ギルバート先生からも、減量して足の負担軽くしろって言われてるでしょ」


 うぐっ、と言葉に詰まる。診察で体重を計る度に、くどくど説教垂れる渋声を思い出してしまった。


「もう遅いよ。往診日、今日じゃん」

「少しでも努力したってわかれば、お説教一分くらいまけてくれるかもよん」


 ティアには敵わない。なにせ食事の全権を握っている。フィオは負け惜しみのため息をついて、そっと床に足をつけた。

 この瞬間はいつも緊張する。

 大きく息を吸って吐き出し、一拍の覚悟を決める間を置く。そうしてゆっくり体重をかけた足は、今日は機嫌がいいらしい。なんの痛みもなかった。


「よさそうね。せっかくだから散歩もしてきたら? 春らしいさわやかな陽気よ」

「やだよ。もうみんな、働いてるのに……」


 ファース村の住人は大半が農家だ。今の時期はキャベツを中心に、タマネギやジャガイモの収穫に追われている。さっき宿に顔を見せたディックとアンだって――十歳と八歳の子どもだって、親を手伝いに行ったのだ。


「フィオ……。あの子たちを許してあげて」


 気遣わしげなティアに笑みを向けて、フィオは玄関扉を潜った。うまく笑えていたか自信はない。


「おはよう、レフィナ。今日も素敵な角だね」


 玄関脇には、草を食む竜脚科コルヌ・レジーナのレフィナがいた。ティアの相棒ドラゴンだ。

 フィオの声にレフィナは首周りの毛をもふりと揺らして、顔を上げる。頭部から下へぐるりと巻いた立派な角は、貴婦人のような気品にあふれていた。

 その角にちょこんと花のリーフが引っかけられている。これは角を飾りつけるのが好きなレフィナのために、ティアが作ってあげたものだ。

 花を見て、と言うようにレフィナは頭をフィオの胸に押しつけた。


「ふふっ。わかってる。わかってるよ。ティアだってギルバートだって、私のために叱ってくれてるんだ」


 郵便受けは玄関から目と鼻の先だ。こんな労働のうちにも入らない手伝いを、努力と言ってくれるティアのやさしさがうれしくて、むなしい。


「ドラゴニア新聞、か」


 取り出した新聞紙を、なるべく見ないようにして脇に挟む。

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