第3話 天才

 次の日。


 私は、零二の家に来てやっていた。時刻は、日本時間午前9時。窓から進入したのだが、部屋には誰もいなかった。


「なんでいねえんだよぉぉ!!」


 叫んだ声は誰にも届くことなく、時計の針が規則正しく進む音だけ部屋の中に響いてる。私は、深々とため息を吐いた。


「あー、そういえば、子どもは『学校』ってとこに行ってるんだったっけ。もしかしてあいつ、放課後デートとか期待してたりして・・・・・・」


 心臓を頂く以上、願いはしっかり叶えてやらなければならない。これは悪魔としてのプライドであり、意地だ。


 いつも持ち歩いているショルダーバッグをまさぐり、方位を知るためのコンパスみたいな形の物体を取り出した。針ではなく、ここら一帯の地図の上に赤い点が乗っかって、チカチカ点滅している。


「てってれー! 悪魔の必需品、契約者の人間が今どこにいるのか確認するやつー!!」


 人間は普段は威張っているくせにいざとなると臆病で、心臓を受け渡す直前になると逃げ出したりする。


 だから、こういうのは悪魔のマストアイテムなのだ。


「ふむふむふむ。結構近いね」


 窓を開けて眩しい光の中へ飛び出し、真っ黒な翼で太陽を照り返しながら空を飛ぶ。


 すぐに、白い頑丈そうな建物が見えてきた。赤い印の反応を頼りに零二を捜索し、発見する。 


 零二は、たくさんの人間が綺麗に整理され、並んで座っている四角い部屋·····というか箱の中にいた。その中でも一番窓に近いところにいたので、空中に浮いたまま声をかける。


「ヤッホー、零二。来てやったよ!」


 零二は前方をぼーっと眺めていたが、私に気付くと大きく目を見開いて小さく悲鳴を上げた。


 にわかに箱の中が騒がしくなり、偉そうに立っていた一人の人間が零二に尋ねた。


「那月さん、どうかしましたか?」


「あ、いえ・・・・・・。少し体調が悪いので保健室に行ってきます」


「ハハッ那月、生理かよ」


「いいね、天才様は。僕は授業なんか受けなくても余裕ですってか?」


 零二は俯き加減で四角い部屋を出ていった。


 □▫□▫□▫□▫□▫□▫□▫□


「正直言うと、君のこと夢か何かだと思ってた」


 少し歩くと、零二は階段の陰に座り込んでそう告白した。腕をだらんと下げて、疲れているように見える。なんだかよく分からないが、ようやく生意気な人間を出し抜くことができた気がした。


「フフッ、後悔した? あなたのこれからを予言するわ。簡単に悪魔に心臓を売ってしまった自分を責めて責めて、死ぬまでの日数を数える度に心が打ち砕かれて、死にたくないはずなのにこの悪夢はいつ終わるのかと指折り数え、そしてまた自責の念にかられる。残りの一年、ずっとそんな気持ちを抱えながら生きていくのよ。フッ、少年よ、悪は正しく恐れなさい」


「シルビアってときどきキャラ変わるよね。マニュアルだか何だか知らないけどさ」


「ほえ?」


「昨日の、訂正する。やっぱそういうとこも可愛いと思うよ」


 頬に、何か柔らかいものが触れた。吐息が耳にかかる。柔らかいものは、零二の唇だった。


「ちょ、何して・・・・・・」


「いいでしょ。彼氏なんだから」


 間近に、零二の顔がある。陶器のように白い肌、細く真っ直ぐに通った鼻筋に、ちょんとのった小鼻、小さいけどふっくらとした唇。まるで精巧に作られた人形のようだった。


 そんな男が、どんな女も堕とすような魔性の微笑みを浮かべて私に迫っている。


 しかし目の奥に光はなくて、微笑みは凍りついていた。その冷たさがさらに彼を美しく魅せているような気がして、皮肉だなと思わずにはいられなかった。


「零二、あなたは心臓と引き換えにこんなことを望んだわけじゃないでしょ?」


「どういう意味?」


 あまり触れられたくないのか、零二の手が私の口に伸びる。その手を掴んで軽く捻り、床に押し倒した。


「だって、全然満足そうな顔してないし。ただ女の子と遊びたいだけなら私じゃなくったって良かったでしょ?あなたなら相手には困らなそうだし」


 図星だったのか、零二は何も言わなかった。ただ目を伏せて、この場をやり過ごそうとしてる。


「私はちゃんとあなたに満足して死んでもらいたい。・・・・・・勘違いしないでよね。これはあなたのためじゃない。私のためなの。一度契約を結んだからには最後まで責任持ってやりたいから」


「・・・・・・意外と真面目なんだ」


「何よそれ」


 さらに手首を強く捻ると「痛い痛い」と喚くので、解放してやった。


「ハアー、さすが悪魔。人間より力は強いか」


「そうよ。悪魔を舐めないで」


 零二は、なぜか少しだけ嬉しそうに笑った……気がした。


「じゃあ、誤魔化さないでちゃんと話すよ」


 そのとき、キーンコーンカーンコーンとチャイムがけたたましく鳴り響いた。条件反射のように、零二が素早く立ち上がる。


「とりあえず場所移さない?」


 零二が指さしたのは、階段のさらに上の方だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る