雪女と最悪の金曜日(了)
あまりに美しく、非の打ち所がなく、表情を崩すことはほとんどなく、声を荒げることもなく、美しくて気品溢れるその姿は、まさに天女のようでした。
数々の生徒が、教師が、あなたを口説こうと必死になっていました。
それでも、あなたは頑として態度を変えることなく、常に冷静で、淡々と、そしてきっぱりと、そういう下世話なもの達をあしらってこられましたね。
そういった、一見冷たく見えるところが、実にあなたらしく、気高く、美しいと、私はあなたを見ているだけで幸せでした。
あなたの一挙一動を、その美しさのすべてを知りたくて、私はあなたのそばにいようと努力をしました。
影からお支えしようと、邪魔な男達は排除しようと。
そうして、この8年、あなたは決して誰のものにもなりませんでした。
崇高なあなたに傷がつかないように、この私がずっと見守っていたおかげです。
しかし、今年7月に入り、不思議なことが起こりました。
ずっと誰一人寄せ付けないあなたのそばに、突然現れた男がいました。
最初は、ただ他の生徒と同じようにあなたに恋い焦がれて、近づこうとしているだけだろうと思っていました。
わざと怪我をして、保健室に通っているのだと。
しかし、あなたはあの男を受け入れた。
寡黙であったあなたが、あの男と出会ってから口数が増え、表情の変化も見られるようになった。
私というものがありながら、どうして、そのようなことになったのか。
決して、誰も寄せ付けなかったあなたが、今年は生徒と港祭りに行き、さらには同じ旅館にまで泊まっていた。
この8年で、それは初めてのことです。
どういうことですか。
なぜ、私というものがありながら、そんなことをするのですか。
私は、あなたを思い、あなたにふさわしい男になれるように努力をしながら、ずっと、ずっと、あなたを見守って来たのに。
あなたは以前新聞局のインタビューで、理想の男性像を聞かれて自分の父親だと答えていたね。
だから、私は空手道場に通った。
お義父様のようになろうと、学生時代に一年生に負けてから辞めてしまった空手をもう一度始めて、懸命に励んだ。
幸いなことに、体を鍛えると身長が同じくらいだったから、同じような体型になれた。
あとは、顔だ。
整形する資金さえあればといい。
どうにか金を工面しよう。
そう思っていたのに、あなたは私を裏切った。
あなたは車にあの男を乗せた。
生徒に手を出すなんて、それも私の生徒だ。
なんという裏切りか。
確かに、あの男はあなたの父親に似ているかもしれない。
よく整った、綺麗な顔をしている。
だからこそ、許せない。
8年も一緒に働いていたのに、私はあなたの車に乗ったことがない。
私の車に乗せたこともない。
だから私は、あなたから全てを奪おうと——————
◇ ◇ ◇
「——……ああ、気持ち悪い。そして長い!!」
冬野先生は、その遺書というか、気持ちの悪いラブレターというか……便箋4枚分あったそれらを途中で読むのをやめた。
確かに気持ちが悪いその遺書だったが、簡単に内容をまとめるとこうだ。
廣岡先生は冬野先生のストーカーで、そのせいで奥さんと子供に逃げられた。
それでも、冬野先生のことがあきらめれず、密かに隣の部屋へ引っ越してまで、ストーカー行為を続けていたが、俺に冬野先生を奪われると思って、腹いせに犯行に及んだという内容だった。
しかも、計画では自分で冬野先生を救い出して、惚れさせる予定だったとか……気持ち悪すぎる。
あの金色の指輪も、婚約指輪のつもりで気を失っている冬野先生の指にはめて見たのはいいものの、なかなか抜けなくてそのまま放置してたようだ。
「勘違いにもほどがあるわ。気持ち悪い。何が影から見守るよ、男ならはっきり言いなさいよね」
「……はっきり言ったって、先生は断るじゃないですか」
「当たり前でしょう? 恋愛っていうのは、片方だけが好きじゃ成り立たないのよ。お互いに好きじゃないと」
先生は遺書を封筒ごと破り捨てようとしていたが、さすがに証拠品なのでやめてくれと刑事に止められる。
自宅でストーカーが自殺しているなんてこの状況にも関わらず、怖いとかそういう感情はないようで、むしろ怒っていた。
「こんなところ、住んでいられないわ。雪兎、実家に帰るわよ」
「そうですね」
なんだかんだで時計の針は夜の11時半を過ぎ、夜も遅いということで、警察での事情聴取は明日行われることになった。
犯人に危害を加えれられる可能性があるとして、家に帰れなかった俺も、これでやっと帰れる。
*
「……それにしても、すごい勘違いでしたよね。俺が保健室に行く回数が多いのだってただの偶然だし、港祭りで先生と会ったのも、阿寒の旅館が同じところだったのも、ただの偶然なのに」
「まったくよ。勝手に勘違いして、勝手に事件を起こして、勝手に死ぬなんて、迷惑にもほどがあるわ!」
帰りの車内でも、冬野先生の怒りは収まっていないようで、俺たちはずっと文句を言い合っていた。
「————ああ、でも、お嬢様の口数が増えたのは、勘違いじゃないと思いますが」
それまで黙って運転していた雪兎さんが、急に話に割って入る。
「……え?」
「お嬢様がこんなに饒舌になられているのは、何年振りですかね? ここ何十年もこんなにお話しされているお姿は見たことがないですし……」
「————ちょっと、雪兎、変なこと言わないでくれる?」
「変じゃないですよ。私としては、昔のお嬢様に戻ってきたような気がして、嬉しいことだったんですよ? ご主人様も奥様もあの一件以来、口数が減って、表情が乏しくなってしまったお嬢様をとても心配していましたし」
「ちょっと、その話はしないで……」
「やっぱり顔ですか? なんだかんだ言って、お嬢様はこの手の顔に弱いですもんねぇ」
冬野先生はやめるように言ったが、雪兎さんのおしゃべりは止まらない。
今日の夕方、冬野先生がいなくなった状況を話していた時にも思ったけど、この執事、すげぇ喋る。
見た目はイケメンで有能執事って感じがするのに……
ファンだっているし。
「————雪兎……クビにするわよ?」
「……は! あ、す、すみません!!」
冬野先生のドスの効いた声に、やっと我に帰った雪兎さんは黙った。
怖い。
でも、そんなところもまた美しいなぁ、この人は。
「————ああ、ところで、小泉君」
「はい、なんですか?」
「あなた、9月1日生まれ?」
「そうですけど……え、どうしてですか?」
「どうしてって、メールアドレスに0901って入ってるから」
そうだ、色々あってすっかり忘れていたけど、今日は16歳最後の日だったじゃないか。
明日から俺は17歳になる。
「さすが先生、名探偵ですね」
もういっそのこと、保健室の先生なんてやめて、探偵にでもなればいいのに。
その方が向いている気がする。
そうしたら、生徒と教師だなんて言われなくて済むのに……
「ふーん、まぁ、考えてみるわ」
こうして、最悪の金曜日は終わる。
そして、日付が変わって9月1日の0時過ぎ。
部屋でくつろいでいた俺のケータイに、登録していないメアドから、届いた一通のメール。
=============
【件名:誕生日おめでとう】
今日は助かったわ。
ありがとう。
=============
たったそれだけの、短い文章だったけど、俺は飛び跳ねるくらい嬉しかった。
というか、実際に飛び跳ねて、着地した時に、また足を挫いた。
「いってぇええええ!!」
涙目になりながら俺はすぐにそのメアドを、電話帳に登録する。
多分これから、最高の土曜日が始まる。
そんな予感がした——————
(最終章 雪女と最悪の金曜日 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます