雪女と最悪の金曜日(8)


 時刻は夜9時半を少し過ぎた頃。

 廣岡先生の自宅周辺を刑事達が取り囲んだ。


 ところが、そこに車がない。

 やはり自宅には帰っていないと無線が入る。

 3億円を積んだまま、廣岡先生姿をくらました。


 すぐに警察は交通規制をして、道路に検問を敷いたが、それらしき車は見つからない。

 冬野先生が廣岡先生の家を見たいとうので、雪兎さんの運転する車で向かうのに俺もついて行った。


 平屋の一軒家。

 玄関の門に、廣岡と書いてはあったけれど、奇妙なことに家の中は埃だらけで、家具や家電、生活用品もそれなりに置いてはいたけど、しばらく人が住んでいなかったんじゃないかと……そんな感じがした。

 冷蔵庫の中に残っていた未開封の牛乳の賞味期限は、三年前のもので、警察がここに踏み入った時、ブレーカーも落ちていたらしい。


「そういえば、奥さんは? 廣岡先生、結婚指輪つけてたけど……」


 女物の服や、子供のおもちゃなんかも落ちていたし、今に飾ってある家族写真の日付も十年くらい前のものだろうか。

 きっと、この家族写真に写っている少女は今頃俺と同じくらいの年齢になっているだろう……


 刑事がこの家の隣の住人に事情を聞いたところ、何年か前からこの家には誰も住んでいないようだと言っていたそうだ。

 五年くらい前に子供と奥さんが家を出て行って、気がついたらもう廣岡自身もいつの間にかこの家からいなくなっていた。


「でも、郵便物が溜まってないわ。定期的に来てはいたみたいね……」

「……確かに」


 冬野先生の言うとおり、玄関の郵便受けには何も入っていない。


「……思い当たる場所が一つあるわ」

「え、居場所、わかるんですか?」

「多分だけど、ここ数年、何度か私のマンションの近くのスーパーとか、よく行く書店であったことがあるの。偶然だと思っていたけど……意図的にそうしていたなら————」



 ❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎



 私が実家を出て、今のマンションに引っ越したのは、五年前のことよ。

 物件を探していた時、当時の校長が建設会社と知り合いで、新しくできたマンションの話をされたの。

 誰か引っ越す予定があるなら、そこはどうかって、職員室でね。

 立地的にもちょうど良かったし、私はそこに引っ越すことにしたわ。


 私が入居した時には、全室埋まっていて……

 それから二年ぐらい経って、隣の部屋が空室になった。

 でも、すぐに新しい住人が越して来たって話だった。

 引っ越しの挨拶に来ていたようだけど、私はその時ちょうど実家に行っていて、隣の住人には会えなかったし、その後も何度か来たんだけど、人付き合いは面倒だから、断ったの。

 挨拶なんて結構ですって。


 だから、隣の住人が男性であることしか、私は知らないわ。

 今思えば、その後からね。

 近所のコンビニ、スーパー、書店、飲食店、それから、町内会主催の盆踊りとかで、廣岡先生と遭遇することが多くなったの。

 廣岡先生は子煩悩で、奥さんが第一の愛妻家だって、K高に赴任したばかりの頃にそう聞いていたわ。

 でも、よく考えたら、そのどれも廣岡先生は一人だった。

 奥さんと一緒に歩いているところも、子供を連れて歩いているところも見たことがないわ。


 もしかして、住んでいる家が近いのかもしれないと思ってはいたけど、履歴書や免許証の住所はこの家。

 私のマンションとは車でも三十分ほど離れている。

 同じチェーン店のスーパーが近くにあるのに、わざわざ私の近所のスーパーに来るとしても、年に数回でしょう?

 その数回に、私が何度も遭遇しているのはおかしい。


 それに、うちの父が道楽でやってる空手道場にだって、入会したのは私がまだ実家にいる時だった。

 その当時も、この家に住んでいたらなら、それも不自然よ。

 目の前に空手道場があるのに。

 それも、うちの父が道楽でやっているものじゃなくて、全道的に有名な空手の師範がやっている道場が。



 ❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎



 冬野先生の話を聞いたその時、俺の脳裏にこれまで冬野先生に対する話が、まるで走馬灯のように過ぎる。



《 あの雪女がOKするわけないじゃん 》


《 先輩の話じゃ、もう二十人くらいの男からプロポーズされているんだって。教師からも、生徒からもね 》


《 私がお世話になった先生って、冬野先生と担任だった廣岡先生くらいしか残ってませんからねぇ 》


《 あの美しさに惹かれるのは十分わかるけど、高校生らしく年相応の相手を選びなさい 》



 廣岡先生は、あのK高のサキュバスの餌食にもならず、八年以上も冬野先生がいるK高にいる。

 日菜子の話じゃ、冬野先生に惚れて、玉砕した男達はたくさんいる。

 廣岡先生だって、言っていたじゃないか。

 あの美しさに惹かれる————と。


 八年も同じ学校にいて、同じ職場にいて、一度も惹かれないことなんてないだろう。

 当時の鏡先生がどれほどの脅威だったかは知らないけれど、その当時から、冬野先生の美しさに心酔していたのなら、唯一、免職にも転勤にもなっていないのは、そのせいじゃないか?


 奥さんと子供達は、どうして家を出て行った?

 それでも、まだ結婚指輪をはめている理由は?


 いや、待て……この指輪————


 家族写真に写っていた指輪と、廣岡先生が今つけている指輪は、同じものだったか?

 違うものじゃないか……?

 廣岡先生が左手にはめていたのは、金色の結婚指輪だったはず。

 写真の中では、銀色の指輪だ。

 奥さんの左手にも、銀色の指輪がある。


 それじゃぁ、あの指輪はなんだ——————?



「それに、この指輪……」

「え……?」


 冬野先生は、自分のポケットから金色の指輪を取り出した。


「監禁されていた時、なぜか私の左手にはめられていたの。こんな指輪、私は知らないし、でもどういうわけかサイズがぴったりで……気味が悪くてすぐに外したけど……————廣岡先生って、確か金色の結婚指輪をしていなかった? 珍しいから、何となく覚えているのよね」



 やっぱり、廣岡先生は、冬野先生のことが好きだったんだと思う。

 それも、冬野先生と俺の推理が正解なら、廣岡先生は今頃————


「雪兎、私のマンションに向かって。今すぐに」

「はい、かしこまりました! お嬢様!」




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