雪女と最悪の金曜日(7)
あんなに体が冷たかったのに、冬野先生は雪兎さんにガリガリ君を買いに行かせ、佐々木たちがコンビニで買って校長室の冷蔵庫に入れていたため、冷えた冷えになっていた1リットルのパックジュースをがぶ飲みする。
偶然にも、冬野先生が大好きな梨味だ。
「せ、先生、大丈夫なんですか?」
「平気よ……ちょっと寝てただけ。ケータイの電源も切れちゃったし、何の動きもないし、暇すぎて……————」
大きなあくびを一つして、冬野先生は校長室の扇風機の風を独占しながら、状況を説明するように佐々木の父さんに言う。
「それで、私を監禁したやつは、結局捕まってないの?」
「え、ええ。身代金を受け取りに来た奴らはみんな、頼まれただけだと……」
「ふーん……」
何者かに誘拐、監禁され、身代金の3億円まで用意したというのに……
いたずらだったのだろうか?
とても不思議な事件だった。
でも、もし冬野先生があのまま見つからなかったら、あそこで死んでいたかもしれないと思うとゾッとする。
「えーと、鏡先生でしたかな? 冬野先生が監禁されていた、あのステージ下にあった変なスペース一体、何です?」
「……ああ、あれは、昔この学校に奇術クラブって——まいわゆる手品同好会ね。その時の名残ですよ。どういう使い道であそこにあんなスペースが必要だったのかは知らないけど……私が入学した年には、部員数が集まらなくて廃部になったらしいですし」
「なるほど……ところで、どうしてそんなこと知ってるんですか?」
「え? ああ、だって私、元・奇術クラブの先輩と一時期お付き合いしていたから。あそこに二人で入って……うふふ、情熱的ですごく楽しかったんですよ」
「ほぉ、なるほど……そうでしたか。青春ですねぇ」
佐々木のお父さんは鼻の下を伸ばしながら、鏡先生の顔と胸を見ている。
俺はそんな佐々木のお父さんを見て、この人は鏡先生がK高のサキュバスと呼ばれていたことは知らないんだろうなぁ……と、思った。
青春だなんてそんな、美しいものでは多分ない。
「あの……お話中すみません」
「ん? なんだ、どうした?」
そこへ、とても申し訳なさそうに、話に割り込んで来た若い刑事は、とんでもないことを口にする。
「身代金の3億円が、どこにもありません」
「…………ん? 今なんて?」
「ですから、今確認したんですけど、身代金の3億円が消えてるんです!」
「はぁ!? そんなわけないだろう! コインロッカーを開けるときに、逮捕してるんだぞ!?」
「で、ですから、それはそうなんですけど、中身が入っていないんですよ、どのスーツケースの中にも」
それは、まるでマジックのような話だった。
コインロッカーの中から取り出した3つのスーツケース。
校長室に戻ってきたそのどれもが、1億円が入っているにしては軽い気がすると中身を開けて見たところ、なんと空っぽだったのだ。
「どういう……ことだ?」
冬野先生が無事に見つかって、これでやっと帰れると思ったのに、今度はなくなった3億円探しが始まる————
*
「————それじゃぁ、うちの父が物理的に犯人の指定した時間にここへ来ることが不可能だから、代わりに廣岡先生に父親役をさせたということね?」
「はい。そういうことです」
校長室にホワイトボードを持ってきて、時系列順に冬野先生がいなかったときに起きたことを佐々木が書き並べる。
1、15時40分 保健室で脅迫状が見つかる
2、15時55分 校長室に犯人から一度目の入電
→身代金3億円、父親に学校に来るよう要求(実家の電話が繋がらないため)
3、17時00分 二度目の入電
→スーツケースに3億円を詰めるよう要求
4、18時00分 三度目の入電
→父親一人でジャスコに行くよう指示。
5、18時20分 ジャスコ到着
→指定されたコインロッカーの中にケータイが入っていた。次の指示はそのケータイから。東出入り口の12番のロッカーに1つ目を入れる。
6、18時30分 2つ目を南口の14番ロッカーに入れる。
18時55分 駅到着。最後の1億円を入れる。
→30分以上経っても犯人から連絡なし
7、19時40分 最後の入電
→人質開放したと連絡。コインロッカーに身代金をとりに現れた三人を確保
8、20時00分 人質発見
「ふーん、なるほど」
冬野先生はガリガリ君を頬張りながら、ホワイトボードを眺めた。
最後の一口を食べ終わると、その木の棒で4と5の間をあたりを指さす。
——ん? その棒……何か書いてないか?
「犯人がどこかから見ている可能性があるから、ジャスコに車が移動したとき、警察の車がついて行ったのは、車が駐車場をでたあとよね? 当然だろうけど、車に3億円が入ったスーツケースを入れたのもうちの父に変装した廣岡先生だけよね?」
「ええ、そうですね。警察が協力していると悟られてはまずいですから……」
廣岡先生が車に3億円を積み込んでいる間に、捜査員が乗った車はジャスコに向かっている。
学校からジャスコに着くまでのカメラの映像はなく、音声だけだ。
当然、スーツケースに発信機もつけてある。
目立たないように、ケースの内側に。
でも、その発信機のついたスーツケースの中身が空っぽになっているのだから、この事件は妙なんだ。
「それなら、この間ね。車は、誰の車を使ったの?」
「え……? それは……廣岡先生のですが……?」
「……その廣岡先生は、今どこに?」
「え……?」
そういえば、冬野先生が目を覚ました後から、廣岡先生の姿を誰も見ていない。
あんなに派手なスーツを着ていたのに……
「当たりね。犯人は、廣岡先生。事前に同じスーツケースをもう3つ用意しておけば、犯行は可能よ。ジャスコで下ろしたのは、空のスーツケースの方。最初からコインロッカーのスーツケースは何も入っていなかった。中身を動かすのは少し時間がかかるから、発信機だけを付け替えたのよ。簡単なトリックね」
先生はそう断言した。
「……でも、そうなると、そのトリックを使うには、廣岡先生が父親役にならないと成立しないんじゃないですか?」
俺がそう尋ねると、冬野先生はこう返す。
「犯人はうちの実家の電話番号を知っていたのよ? まぁ、あの家では空手道場と、こども向けの剣道教室をやっていたから、ちょっと調べたらネットに載ってるし、電話帳にも載ってる。それに、父は実名でブログをやってるわ」
「え……?」
「毎年この時期に、使用人達をつれて慰安旅行に行っていることぐらい、すぐにわかるわ。それに、廣岡先生は何年か前にうちの父がやっていた空手教室に通ってた」
冬野先生が不意を突かれて、監禁されたとき、犯人には武道の心得があると感じたそうだ。
「そうじゃなきゃ、この私が、たかが人間ごときに背後を取られるわけがないわ」
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