雪女と最悪の金曜日(2)
「小泉、転校して来てもう二ヶ月経ったが、お前、大丈夫か?」
「大丈夫……? 何が、ですか?」
生徒指導室なんて初めて入ったし、座らされた茶色いソファーはやけに沈んで座り心地が悪いし、ちょっと緊張していた俺に、廣岡先生は真剣に問いかけて来た。
「お前がイジメられてるんじゃないかって、話が出てるんだ」
「いじ……イジメ!? 俺が!?」
いやいや、イジメ?
なんで、急にそんな話が……?
「保健室にしょっちゅう行ってるだろう? 7月だけで4回。転校初日、凍死事件の後、文化祭の準備期間中、夏休み前……それに、今月なんてたった十日間しかないのに2回だ。捻挫と、その指の怪我……二ヶ月間の間に6回も怪我をしているじゃないか」
「それは……そうなんですけど……」
確かに多いけれど、仕方がないじゃないか。
初日と2回目は授業に集中してなかった自分のせいだけど、文化祭前のは地震のせい、蚊に刺されたのも蚊のせいだ。
捻挫だって、あんなところで佐々木がFカップだとかいうから、動揺しただけで……この指の怪我も、たまたまヒビの入ったビーカーを手にしてしまっただけ。
それが、なんで俺がイジメられているって話に繋がる?
「ほら、お前もニュースで知っているかもしれないが、N高の生徒がイジメを苦にして飛び降り自殺をしただろう?」
「ああ、ありましたね……」
確か夏休み最終日の出来事だ。
N高の三年生が一人、深夜の学校に忍び込んで、屋上から飛び降り自殺。
遺書には、イジメが原因とみられるような文章が残されていたとか……
「その亡くなった生徒が、どうも去年の秋に九州から転校して来た生徒らしいんだ。方言をからかわれたらしく、そのせいでクラスにうまく馴染めなかったとかで、イジメの被害にあった————そういう話だ。その生徒も、小泉と同じように保健室に行くことが多かったそうだ。怪我とか、体調不良で」
後から判明したが、その怪我や体調不良の原因はイジメによるものだったらしい。
一応、俺も道外からの転校生なわけで、もしかしたら同じなんじゃないかと……そんな話が出ているらしい。
「それに、よく保健室に行くから、冬野先生とも仲がいいだろう?」
「え、ええ、まぁ」
そうだな。
普通の生徒よりは、いい方かもしれない。
冬野先生の読んでいる本が、ミステリーやホラーが多い傾向にあったり、梨が好きだったり、執事の名前を知っているのは俺くらいだろう。
冬野先生の車に乗せてもらったことだってある。
「冬野先生はほら、綺麗な人だから、男子生徒から人気が高いだろう? さっき俺が保健室の前を通りかかった時出て来た生徒が、お前のことを『邪魔だ』とか『あいつだけずるい』『俺たちの雪子先生なのにムカつく』なんて会話も聞こえて来た」
それはきっと、冬野先生をナンパしていたあいつらだ。
「先生はな、心配なんだよ。お前が自殺したその生徒みたいに、イジメられてはいないかって。大丈夫か? 困っているなら、先生が話を聞くぞ?」
「いや、特に今の所困っていることはないです。イジメだってされてませんし、ハブられてもいないです」
イジメられてなんていない。
佐々木も向井もまるで俺が最初からこのクラスにいたかのような扱いだし、前野はあの小鳥ちゃんの事件以来、なぜか北海道のローカルグルメを買ってきて、俺に渡してくる。
ガラナとか、カツゲンとか、ちくわパンとかもあったな。
この前なんて『やきそば弁当』の食べ方を伝授された。
中に入っているかやくは、麺の下に入れて、お湯を注ぐ。
蓋の上にソースのパックを置いて温め、付属のスープの粉はマグカップに入れておく。
三分経ったら、湯切りのお湯をそのマグカップに注いでスープが完成。
余ったお湯は捨てて、ソースとふりかけをよく混ぜて食べる。
焼きそばに中華スープがついているのが、この『やきそば弁当』の売りだそうだ。
ペヤングやUFOは、実はあまり道民は食べたことがないらしい。
「本当に、大丈夫か? 方言をからかわれたり、嫌なことをされたりしてないか?」
「してませんよ! 方言だって、母さんと話すときはちょっとだけ三河弁がまざるけど、基本的に俺標準語なんで! ってか、むしろ北海道弁かもしれません」
転校前は岡崎に住んではいたし、母さんは岡崎の人間だったけど父さんも祖母ちゃんも標準語に近い北海道弁だ。
たまにイントネーションが違って訛るくらいで、話が通じないとか、揶揄われることもない。
「そうか? それならいいんだが……でも、気をつけるんだぞ? 特に怪我だ。あんなにしょっちゅう保健室に通っていたら、さっきのやつみたいに恨まれるかもしれない。お前がわざと怪我をして、保健室に通ってるんじゃないかって……そう思われるかもしれないぞ? 冬野先生に会いたくて、やってるって」
「そんなことは断じてありません! っていうか、仮病じゃなくても会いに行きますし、普通に!」
「だから、なんで、会いに行くんだ」
「え……?」
そんなの、俺が冬野先生に関心があるからに決まっているじゃないか。
でも、生徒指導室で堂々とそんなことが言えるはずがない。
生徒との個人的なやりとりは禁止。
さっきの冬野先生の言葉が頭をよぎる。
「絶対に行くなとは言わないが、用事もないのにそんなに頻繁にあっていたら、有る事無い事噂されるぞ? そうしたら、一番困るのは冬野先生だ」
「ど……どうしてですか?」
「生徒と教師ができている……————なんて噂が流れてみろ、生徒のお前は厳重注意で済まされるかもしれないが、罰せられるのは先生だ。ここよりもっと田舎の他校に飛ばされるか、最悪の場合懲戒免職だ」
「…………」
確かに、その通りだ。
俺は、多分……いや、確実に冬野先生に惚れている。
あの非の打ち所のない美しさ。
いつもクールだけど、実は超お嬢様で、読書家で、梨が好きで……気が強くて、わがままで、可愛い一面もある。
まだまだ謎な部分が多い先生だけど、だからこそ、そのミステリアスな感じに惹かれてしまう。
今はさっぱりだけど、いつか冬野先生が振り向いてくれたら?
もし、なんとか上手くいって、この恋が成就したら?
俺はまだ高校生で、子供で————
そういうリスクがあることを、全く考えていなかった。
「わかっただろう? 怪我や病気が不可抗力なら仕方がない。でも、できるだけそうならないように気をつけるんだ。いいな」
「……はい」
「小泉、お前顔はいいんだ。彼女が欲しいなら、他にたくさんいるだろう? あの美しさに惹かれるのは十分わかるけど、高校生らしく年相応の相手を選びなさい」
生徒指導室を出た後、ずっと考えていた。
ダメなことなんだと。
俺が冬野先生に関心を持つことは、いけないことなのだと……
でも、どうしたらいいかわからない。
好きなものを、急に諦めろと言われても、すぐには無理だ。
とりあえず、メアドを聞くのはもう諦めよう。
それで変な噂が立ってしまったら、廣岡先生の言う通り冬野先生に迷惑がかかる。
誤解だとしても、鏡先生がK高のインキュバスと呼ばれていた頃のようなことが起きるかもしれないし————
そして、午後の授業も終わり、残すはHRだけとなった頃、事件が起こる。
「……ん?」
俺のケータイに届いていた、一通のメール。
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【件名:至急】
監禁された。
外から鍵をかけれれている、出られない。
狭くて、暗い。
暑い。
どこかわからない。
チャイムの音は聞こえる。
校内かその周辺だと思う。
ここに連絡して。
090-XX88-10XX
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15時39分に送信されている。
登録していないメアドだから、差出人は誰だかわからない。
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