最終章 雪女と最悪の金曜日
雪女と最悪の金曜日(1)
保健室でナンパしている人間を見たのは、初めてだった。
「お願いしますよ、雪子センセ。メアド教えてくださいよぉ」
「メアドが嫌なら、電話番号でもいいですから」
8月31日金曜日、2時間目の化学。
うっかり実験で使うビーカーを盛大に割ってしまった俺は、その破片で指を切ってしまった。
また保健室行きである。
佐々木や向井だけでなく、もはや俺が怪我をして保健室へいくことに慣れすぎたクラスメイトたちは、たいして心配もなく、むしろまた冬野先生に会いに行けていいなぁとまで思っている。
そりゃぁ、つまらない授業より、冬野先生のいる保健室の方が居心地はいいけれど、流石に転校してまる二ヶ月。
保健室に行きすぎている感覚はあった。
前の学校でも、体育の授業中に怪我をしてしまうことは何度かあったけれど、ここまで頻繁ではない。
でもまさか、ここまで堂々と授業をサボってまで、冬野先生をナンパしている奴を見たのは初めてだった。
しかも、二人だ。
ドアの隙間から聞こえて来た会話から察するに、おそらく、一人は仮病。
もう一人は、その付き添いという
俺は中に入るタイミングを決めかねていた。
「ねぇ、いいじゃないすっか。センセ、彼氏とかいないんでしょ?」
「……そういう問題じゃないの。生徒と個人的なやりとりは原則禁止。メールなんて送ってこられても迷惑なだけなんだけど」
「ええ、そんな、バレなきゃいいっしょ? 鏡先生とか普通に教えてくれてますよ?」
「そうそう、いつでも連絡してって言ってたし」
「……あれと一緒にしないでくれる?」
鏡先生の名前が出た途端、それまで冷静にいつも通り冷たい態度だった冬野先生の雰囲気が一変する。
ああ、これは危険だ。
冬野先生が怒っているところを見られてしまう。
それがすごく嫌で、俺は思いっきりドアを開けた。
「指を切ってしまいました。手当してください、先生!」
しつこいナンパ野郎を押しのけて、先生の前の椅子に無理やり座る。
「な、なんだよ……!」
「なんだよじゃない。見てわからないのか? 重症なんだよ、こっちは」
実際、止血のためとりあえず指に押し当てていたティッシュは血が染み込んで真っ赤に染まっていた。
仮病ではなく、明らかな怪我。
ばつが悪そうにナンパ野郎たちは保健室を後にして行った。
「……まったく、冬野先生をナンパしようざなんて、百年早いぜ」
俺だって、まだメアドを教えてもらえていない。
あんなのに先を越されてたまるか。
「小泉君、あなたも懲りないわね……どうしたらこんなに毎日のように怪我するわけ? やっぱり、わざと怪我して、私に会いに来てない?」
「違いますよ。なんでわざわざ痛い思いまでしなきゃならないんですか。それに保健室に来るのに、必ず怪我なり病気だったりする必要はないでしょう? 何か相談事があるとかでもいいわけですし」
「まぁ、確かにそうね」
「今回は俺何もしてないのに割れたんです。もともとビーカーにヒビが入ってたみたいで……」
ビーカーに水を入れた途端、そのヒビからぼたぼたと水が漏れて、驚いた拍子にするりと手から滑り落ちて、盛大に割ったんだ。
運が悪かっただけで、俺がドンくさいとか、運動神経がどうとかは関係ない。
多分……
「そうだとしても、捻挫だってやっと少し良くなったくらいでしょう?」
「まぁ、そうですけど……っていうか、それより先生、この前聞きそびれたんですけど」
「……何を?」
「ケータイのアドレス。俺のだけ登録していても意味ないでしょ? 待ってたのに、メールも送ってくれないし」
「……小泉君、言ってることがさっきの二人と変わってないんだけど?」
「え? そうですか?」
「まったく、困った子ね。本当に……わざとやってるでしょ?」
「バレたか」
「バレるに決まってるでしょう。あの子たちにも言ったけどね、生徒と個人的なやりとりは禁止なの。わかった?」
「はーい」
八年前に鏡先生が起こした事件——……というか、騒動の件もあって、K高では教師と生徒が学校外で二人きりで会うとか、私的なやりとりは特に厳しく禁止されてるのだとか。
部活や担任の先生だというなら、連絡事項等の関係で知っていてもおかしくはないが、関係のない保健室の先生と個人的に繋がりがある……なんて、怪しまれてもおかしくはない。
それに、冬野先生は超がつく美人。
本人にその気が無くとも、生徒が本気になってしまったらあらぬ噂を立てられてしまうだろう。
「はい、おしまい。今日一日は、傷口に雑菌が入らないように注意しなさい」
あっという間に、右手の人差し指に包帯が巻かれる。
先生は処置が終わるとすぐに、いつものように扇風機の前の椅子に腰掛け、読書の続きを始める。
今日のブックカバーは、赤。
「今日は、なんの本ですか?」
「……主人公が忽然と姿を消す謎に迫る、学園ミステリーよ」
学園ミステリーか。
うん、SFよりは大掛かりじゃなさそうだ。
*
3時限目。
手当を終えた俺は、保健室から戻りそのまま日本史の授業を受ける。
日本史の担当は、担任の廣岡先生。
この前の鏡先生との会話から察するに、八年以上この学校に勤務している。
少々顎がしゃくれているため、言葉が聞き取りづらいときもあるけれど、人当たりのいい先生で、厳しい表情をしているところを見たことがない。
正確な年齢は知らないが、おそらく40代後半というところだろう。
左手に金色の結婚指輪をつけているので、既婚者。
あまり顔を出さないが、一応、俺たち探偵部の顧問でもある。
本来は放送部の顧問だから、形だけらしいけど。
「————小泉、昼休み職員室に来なさい。話がある」
「え……?」
3時限目が終わった途端、俺は廣岡先生に呼び出しを食らう。
「なんだよ、小泉、お前なんかしたんか?」
佐々木に茶化されたが、何をしたのか全く身に覚えがない。
授業態度は真面目だし、成績だって悪くはないはずだ。
「分かんねぇ……」
一体俺が何をしたというのか……
気になって4時限目の英語では全然授業に集中できなかった。
しかも、職員室に行ったら連れて行かれたのは生徒指導室。
生徒指導室って、何か問題のある生徒が呼ばれるところでは?
ますます、わからない。
俺は一体、何をした?
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