雪女と真夏の通り雨(了)


「お姉さんとかじゃない? あんな笑顔の雪子先生……私見たことないわよ」


 三年生の神谷先輩がそう言うなら、きっとそうだと思う。

 あのクールな冬野先生が、笑うわけない。

 笑ったら事件だ。


 でも、お姉さんだとしても娘の結婚の話をしてるってことは、一体何歳なんだろう?


「あ、そろそろ時間ですね! 戻りましょう」



 気になることは多かったが、旅館に戻るとエレーナにその歳をとらない女性の話をした仲居さんが俺たちを待っていた。


「どうも、皆さん。ご挨拶が遅れましたね、仲居の八代やしろと申します」


 八代さんは仲居歴三十年の超ベテランで、新潟の老舗旅館に勤めていたそうだが、そこが閉館となり、友人の紹介で北海道に移り住み、五年前からこの旅館で働いているらしい。

 少々化粧が濃いような気がするが、目が細く、弥勒菩薩のような顔つきをしていた。


「八代さん、みんなに例の歳をとらない旅行客の話、聞かせてやってくれる?」

「ええ、いいですとも」


 西田に促されて、八代さんは二十年前の出来事を語り始めた。



 ◆ ◆ ◆


 あれは、私がまだ若い頃です。

 お正月の少し後くらいだったかしら……冬の寒い日だったわ。

 いつもは番頭さんが受付をしているんだけど、その日は前日からお泊まりになられていたお客様同士で喧嘩になっちゃって……

 脱衣場の方で、騒ぎが起きたんでね、番頭さんが仲裁に行ったんですよ。


 でも、ご予約のお客様が来てしまったから私が代わりに受付をしたんです。

 受付にいらしたのは、とてもハンサムな男性で、思わず見とれてしまうくらいでした。

 そのお客様のお連れの方も、それはもう美しい女性で————


 雪のように白くて綺麗な肌に、艶やかな長い髪。

 白地に青い藤柄のお着物を着ていたから、一瞬、もし雪女がいたらこんな感じなんじゃないだろうかと思うくらいの美しさでしたよ。


 ご予約のお名前が女性の名前だったものだから、お尋ねしたら受付をしたあのハンサムな男性はその人の執事だって話でしてね……

 きっと、どこか高貴なお家柄のご令嬢なんでしょう。


 名前も、あの時代にしてはおしゃれだったからよく覚えているんですよ。

 女性は大体、皆さん名前の最後に「子」がつくじゃないですか。

 でもその人はひいらぎ様。

 苗字は忘れてしまったけど、四年前にこの旅館で全く同じ顔のお客様を見て、驚きました。

 あれからもう二十年以上も経っているのに、何一つ変わらず、お綺麗なままで……


 当時の姿そのままだったんですよ。

 あまりにお変わりないから、私、ご予約の名前を確認したんです。

 そしたら、やっぱり柊様でした。


 ほら、今日のご予約の名前も————


 ◆ ◆ ◆


 八代さんは今日の予約名簿を指差して見せた。

 予約の名前は、確かに【柊】と書かれている。

 だが、問題は苗字だ。


「————……冬野柊様……?」


 さっきアイヌコタンですれ違った人物が頭をよぎる。

 苗字が冬野先生と同じだ。

 もしかして、さっきの人だろうか?

 いや、でも、そんなに歳には見えなかった。


「ああ、そろそろお越しになる時間ですね……」


 予約の時間が近づく。

 俺たちはとりあえず、こっそり顔を見ようと受付がよく見える入り口近くの長椅子に座った。


 そして、旅館の中に入って来たのは、確かに美しい女性だ。

 八代さんのいう通り、雪のように白い肌、艶やかな長い髪。

 水色のワンピースにつばの広い白い帽子。

 手には、青いキャリーケース。


 さっきすれ違った、冬野先生によく似た女性とは服装が違う。

 というか、この人は————


「予約していた冬野です」


 冬野先生だ。

 声も、顔も、いつもの無表情で、冷たい冬野先生のものと同じだった。


「冬野様ですね。では、まずこちらにご記入をお願いします」

「はい……」


 でも、名前が違う。

 柊って誰だ。

 雪子じゃないのか?

 よく似た別人?

 でも、声も顔も同じだ。


「雪子先生!?」


 佐々木が黙っていられずに、その人に向かって声をかけた。

 ペンを走らせていた手を止めて、その人が俺たちが座っている椅子の方を見る。

 そして、一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの無表情に戻った。


「……あなたたち、どうしてここに?」


 やっぱり、冬野先生だ。


「ここ、エレーナの祖母ちゃんの実家なんですよ。オレたち、夏合宿に来てて」

「探偵部が夏合宿って……ああ、そういえば小泉君がそんなことを言っていたわね」


 冬野先生は再びペンを走らせ、書類を書いて受付に渡した。

 そして、現金で支払いを済ませる。


「部屋はわかっているから、鍵だけでいいわ」

「かしこまりました」


 鍵を受け取ると、キャリーケースを引きずりながら俺たちの方へ歩いてくる。


「あの、先生。どうして、名前————」

「名前?」


 俺が尋ねると、なんのことかわからないと先生は首をかしげる。


「予約の名前、柊って……どういうことですか?」

「…………ああ、母の名前よ」

「え?」


 母の名前……?


「言ったでしょう? 知り合いの結婚式に呼ばれているって。家族で呼ばれているの。私は先に来ただけよ」


 なんだ、それじゃぁ、やっぱり……八代さんが二十年前に見た歳をとらない客って、冬野先生のお母さんだったんだ。

 そうじゃなきゃ、つじつまが合わない。

 だって、どう見ても冬野先生は20代、いっていても30代だろう。

 二十年前も同じ姿なわけがない。


 冬野先生が自分の部屋に向かった後、佐々木はがっくりと肩を落として言った。


「なんだよ、それじゃぁ今回の夏合宿、もう謎が全部解けちまったってことか? つまんねーな……」


 佐々木はすっかりやる気がなくなったようで、残りの二泊三日はタダで止めてもらっているというのに、旅館の手伝いに全く精を出さないでほとんど部屋から出てこなかった。

 向井と広瀬も、最初は頑張っていたが二日目には二人でどこかに観光に行ったきり帰ってこない。

 二日目の午後、仕事をしたのは神谷先輩とエレーナと俺の三人だけ。


「まったく……なんでこんなことに————……」


 一人で大浴場の男湯の掃除をさせられた俺は、部屋に戻ったら絶対あの二人をぶん殴ってやろうと心に決める。

 謎がなくなってしまったのは、俺のせいじゃないのに……!!


「あ……」


 やっと掃除が終わって、部屋に向かって歩いていると廊下で旅館の浴衣姿の冬野先生とすれ違った。

 先生はわざと無視をしているのか、こちらを見もしなかったけど、手にはタオルを持っている。

 これから大浴場に行くのだろう。


 いつも下ろしている長い髪を結い上げていて、港祭りで見た冬野先生の姿を思い出す。

 通り雨の中、少しの間だけどあの傘に入れてもらった。

 うなじが綺麗だ。


 ————でも、妙なんだ。

 たった今、すれ違ったはずの先生が、なぜかエレベーターの前に立っている。


 手に、梨味の缶ジュースを持って。

 さっきすれ違った時は、タオルを持っていたはずなのに……


「……せ、先生?」

「……? なに? 小泉君」

「先生、家族で結婚式招待されてるって、言ってましたよね?」

「ええ、そうだけど?」

「そっくりなお姉さんとか、います?」

「…………いないわよ。そっくりな母ならいるけど」



 おい、佐々木。

 謎だ。

 謎があったぞ。


 ————……さっき俺がすれ違ったのは、一体誰だ?




(第三章 雪女と真夏の通り雨 了)


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