雪女と真夏の通り雨(8)


 その目が怖くて、私、叫んだわ。

 そしたら、近くを巡回してたお巡りさんが駆け寄って来てくれて……

 私、知らなかったんだけど、前の晩に誘拐事件が起きてたんだって。


 5歳くらいの女の子が港祭りで誘拐されてね、お巡りさんたちが巡回を強化してたのよ。

 後から知ったんだけど、その女の子は殺されちゃったらしいわ。

 ニュースで見たの。

 死体が発見されたのが、それから三日くらい後ね。


 確か、犯人はまだ捕まってないんじゃなかったかな?

 女の子の名前は確か山川美衣みいちゃん————だったはず。

 近所で起きた事件だから、よく覚えてる。


 それで、その子の死体が発見されたのがちょうど私が雨宿りしていた軒下だったのよ。

 だから、きっとあの時、私を見ていた幽霊に殺されたんじゃないかって、そう思ったの。

 だって、あの時、私を見ていた目はね、人間のものじゃなかった……そんな気がするのよ。



 ◆ ◆ ◆



「ここです。私がそれを見たのは」


 一度外に出て、エレーナが幽霊を見たという場所を確認すると、そこは一階一番奥の和室の前だった。

 外壁といくつかの部屋は内壁も張替え工事をしているが、和室だけは綺麗だったため、ガラス窓の内側についている障子と畳を張り替えたくらいで住んだらしい。

 エレーナが言ってた障子の穴もはなく、綺麗な状態だ。


「ここが破れていて、こそから見られていたって感じですね」

「和室か。今日みんなが泊まるのに和室を使ってもらおうと思ってたからちょうどいいかもな」


 俺の部屋で五人一緒に寝れるわけがない。

 仏壇があるこの八畳の和室は、襖を開ければ、隣の六畳の和室と一体化できて広く使える。

 父さんが来客用に新しく布団を買って来てくれて、俺たちはそこに布団を敷いた。

 わざわざ新しいのを買ってこなくても……と思ったが、愛知から母方の親戚が泊まりに来ることもあるだろうから、初めから買う予定だったそうだ。


 父さんは俺の友達が家に来るのを誰よりも楽しみにしていたようで、スーパーから帰って来てすぐに庭にコンロを出して、炭に火をつけた。

 夕食はジンギスカン。

 そういえば、北海道といえばジンギスカンなのに引っ越して来て初めてだった。


 テーブルの上に赤い缶が何本かおいてあって、コーラかと思ったがよく見ればそれは、『成吉思汗ジンギスカンのたれ』。

 父さんは星マークのビール缶を片手に、上機嫌に母さんが切ってくれた野菜と肉を焼いて、ジンギスカンを俺たちに振る舞った。

 あまったタレを絡めて焼いたうどんも最高にうまかった。


 そうして、夜が更けていく。

 前日一睡もできなかった俺は、たらふく食べて満腹だったせいもあり、すぐに死んだように眠ってしまう。

 座敷わらしだの、エレーナが見た幽霊だの話はすっかり頭から抜け落ちていた。


 ————ところが……


「おい、小泉! 起きろ!」

「ん……?」


 豆電球のオレンジの下で、佐々木が俺の体を揺する。

 向井と広瀬、エレーナが不安そうな表情で押し入れの方を見ていた。


「なんだ……? どうかしたのか?」

「どうか、どころじゃねーよ! さっきから物音がするんだ。押し入れの方から」

「……押し入れ?」


 押し入れの中には、何も入っていないはずだ。

 さっき父さんが布団を車から和室に運んで来た時、布団は使い終わったら押し入れに入れるようにと言って、一度開けたから覚えている。

 冗談も下段も、まだ何一つものが収納されていない。

 母さんが引越して来る前に、徹底的に断捨離をしたから、余計なものはこの家にはまだ何もない。


「なんか、ペットとか飼ってる?」

「いや、飼ってない。飼ってたら普通に見せるし……」


 ペットはいない。

 一昨年まで飼っていたハチは死んだ。

 頭の毛の濃い部分が八の字になっている、変わった猫だった。

 それ以来、ペットは飼っていない。


「じゃぁ、何の音だ……?」

「いや、それが、気になって開けて見たんだけど、やっぱり見た感じ何もなくて……」

「————っていうか、電気つけろよ。よく見えないだろうこれじゃぁ」


 俺は起き上がって、電気のスイッチを引っ張って電気をつける。


 ————ダンッ


「ん?」


 確かに、何か物音が聞こえる。

 空いていた方と反対の方を開けて見る。

 しかし、やっぱり何もない。

 壁にただのベニア板が張られているだけの、何の変哲も無い押し入れだ。


「なんだ……? 何もないのに、なんで?」


 下段も上段も何もない。

 だけど……


「あ……?」


 天井に穴が空いている。

 直径3、4センチくらいの……祖母ちゃんが買ってきたとうまんぐらいの大きさの。

 そこから何かが動いたように見えた。


「佐々木、ケータイ取ってくれ」

「お、おう」


 俺はケータイのライトで押し入れの天井を照らした。

 やっぱり、穴が空いている。


「ネズミ……とかか?」


 上段に登り、点検口を押し開けて、俺は中をのぞいた。

 北海道だし、何か動物でも紛れ込んでるんじゃないかと。


 ————ガタガタガタ


「お、おい、なんか動いたぞ!? どうなってるんだ、小泉!」

「幽霊か!? ついに、ついに幽霊か!?」


 佐々木と向井は興奮している。

 ついに幽霊————もしくは例の座敷わらしの姿でもあったのかと。


 だが、そこにいたのは、幽霊でも座敷わらしでもない。


「あー……向井、悪いが警察呼んでくれ。あと、佐々木……」

「ん? なんだ?」

「あれ、捕まえてくれ。得意の柔道で」


 人間だ。

 見知らぬ老人がそこにいた。

 国語の教科書に載っている、羅生門を連想させるような、痩せた、白髪頭の、猿のような……

 ただ、老婆ではなく、爺さんだった。


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